ブルース&ソウル・レコーズ

【SPECIAL INTERVIEW】80年代ソウルを語る Vol.2 ー 森田創

好評発売中のブルース&ソウル・レコーズNo.169 特集「ホイットニー・ヒューストン映画公開記念─80年代ソウルの基礎知識」。ホイットニー・ヒューストンを中心に、80年代のソウル/R&Bを振り返る大特集です。

音楽業界が大きな転換期を迎えた80年代に登場したソウル/R&Bは、どう捉えられてきたのでしょうか。本特集を組むにあたりご協力をいただいた御三方とともに、80年代ソウルの魅力を振り返る連続企画「80年代ソウルを語る」の第2回は、レコード会社勤務を経て、現在はアーティスト/ミュージシャンのマネジメント、音楽制作、レーベル運営等で音楽シーンを支える森田創さん。本誌No.169と合わせてお楽しみください。


―――森田さんのホイットニーとの出会いはいつ頃でしょうか?

森田:中学2〜3年生の時、MTVでヒット曲として知りました。洋楽を聴いていると必ずそこに存在していましたね。当時のホイットニーの打ち出し方は、いわゆるポップ・シンガーという感じで、ブラック・ミュージックやソウル・ミュージックとしては認識していませんでしたね。1stアルバム『そよ風の贈りもの(原題:Whitney Houston)』の国内盤の水着のジャケットを見て、スタイルの良い歌のうまい綺麗なお姉さんという感じで、眩しいなと思っていました。

―――やはり当時はMTVの影響が大きいのですね。

森田:流行っていましたね。あとは当時の音楽雑誌で、ホイットニーが表紙になっていたり、特集が組まれることも多かったです。そうやって目にしていたので、貸レコード屋やレンタルCDショップでホイットニーを借りてその歌声を聴いて、清々しい気持ちになっていましたね。

―――当時、ブラック・ミュージックとして意識して聞いていたアーティストはいましたか?

森田:やっぱりプリンス、マイケル・ジャクソン、ザップ&ロジャーあたりが好きでした。そこを入り口に、プリンスからジェイムズ・ブラウン、リック・ジェイムズやザップからPファンクに行って。時代のアイコンから広がるピープルツリーを手がかりに、そのバックボーンになっているアーティストを聴いていきましたね。

―――当時、そうした情報はどうやって手に入れていたのでしょうか。

森田:当然インターネットはないので、雑誌でしたね。きっかけはやっぱり『ブラック・ミュージック・リビュー(bmr)』や『ADLIB』、あとは『ミュージック・マガジン』です。そのあとレコード屋さんで『SOUL ON(注:1971年創刊したR&Bの月刊専門誌)』を見つけました。

―――森田さんは北海道育ちですよね。中心地札幌にはレコード屋さんは多かったのでしょうか。

森田:当時はたくさんありました。CDショップもタワーレコードのフランチャイズの1号店は札幌だったこともあって、タワレコに通っては色々見つけていました。

それに母親からの影響も大きかったです。母は60年代終わり〜70年代初めに東京で青春期を過ごしていて、当時よく遊びに行っていたゴーゴー喫茶やディスコティックでモータウンやアトランティックのソウルが好きになって、家に7インチがたくさんありました。中学3年生の時、母親が「あんた、こういうの好きそうだね」ってアリサ・フランクリン、オーティス・レディング、サム&デイヴ、マーヴィン・ゲイ…それらの7インチを聴かせてくれて。まさに雷を打たれたような感覚で、中でも特にジェイムズ・ブラウンの“パパのニューバッグ”には感電しました。中3から僕の中で何かが確実に変化しました(笑)。


―――ブラック・ミュージックにまつわる情報が一気に入ってくるわけですね。

森田:当時は80年代のブラック・ミュージックが日本でもたくさん紹介されていて、国内盤のリリースも多かった。でも、そこに引っ張っていってくれたのは、やっぱりプリンスやリック・ジェイムズ、ルーサー・ヴァンドロスなどでしたね。彼らは、かつての音楽を自分の音楽に投影させたり、大御所アーティストをプロデュースしていた。「これ、オカンが持ってたアリサ・フランクリンだ」みたいな感じで、ブラック・ミュージックの今と昔が同時に知れたのはすごくラッキーでした。

―――周りにそういった音楽を聴いている人はいましたか。

森田:高校時代の僕の同級生でブラック・ミュージックを聴いてる人は、たまたまなのか? 皆無でした、なので同級生とはブラック・ミュージックの話はできませんでしたね(笑)。だけど、やっぱり音楽の話、ブラック・ミュージックの話をしたいから、レコード屋に行って店の人に、これ聴きなよとか、あそこの喫茶店はいつもソウルが流れてるよとか、あのカレー屋さんのおじさんは夜DJやってるよとか教えてもらって。それでそのお店やDJを聴きに通う内に、先輩たちが色々と教えてくれるようになりました。音楽は課外授業で身についていきましたね。

―――課外授業の先輩たちが楽しさや知識を教えてくれたのですね。

森田:あとやっぱりラジオです。当時、『FMステーション(注:1週間のプログラムが書かれたラジオ雑誌)』で「チャカ・カーン特集」や「80年代ファンク特集」といったブラック・ミュージックの特集を見つけては、カセットを用意して聴いていましたね。中でも当時、熱心にチェックしていたのは久保田利伸さんの番組でした。シャーリー・ブラウンや、J・ブラックフットの名曲「Taxi」など、メジャー音楽雑誌では取り上げられないサザン・ソウルやディープ・ソウルなども紹介されていて、久保田さんには本当にたくさん教えて頂き今でも感謝しております。


やっぱり簡単には聴けない音楽が聞きたくなる性格なので……(笑)。最終的には鈴木啓志さんやピーター・バラカンさんへたどり着きまして、僕の高校生の時の一番の教科書は、バラカンさんの『魂のゆくえ』でしたね。

『魂のゆくえ』はこの時点(1989年発行)での、リアルタイムの音楽と過去のブラック・ミュージックを網羅していました。読んでいくと「ホイットニー・ヒューストンにはソウルがない。ソウルを聴きたければ、アリサ・フランクリンを聴きなさい」と書かれていて。まだスポンジのような高校生なので、それを読んで「ホイットニーにはソウルがないんだ」って素直に受け入れてしまいました(笑)。だけど、アリサを聴くと確かにガツンと来る。小僧なりに、ホイットニーの清々しさとの違いが「ソウル」だと思って悦に入ってましたね。それから、ホイットニーは興味の対象外になってしまって(笑)。

もう一冊、大学時代は鈴木啓志さん監修の『US Black Disk Guide』は、マーカーを引いてボロボロになるまで愛読していました。80年代前半や60〜70年代のソウルはこれで学びました。このガイドに広告が出ていた芽瑠璃堂などの専門店のレコード屋さんを巡ったりもしたな。


森田さんの愛読していた2冊。『魂のゆくえ』著:ピーター・バラカン(1989年新潮社刊)と『US Black Disk Guide』鈴木啓志 編 (1991年ブルース・インターアクションズ刊)

色々聴いていくうちに、歌の上手さはもちろん、「ソウルフルな力強さ」がどんどん好きになって、必然的にベテラン勢をより多く聴くようになりました。今振り返ると、80年代はベテラン勢が若手や旬な人のバックアップを受けて、たくさんリリースをしていたラッキーな時代でした。10代にして、ベテランならではのヴォーカルの表現が好きだったので、リアルタイムのアーティストでもクラシカルな要素があったり、先人、ベテランへのリスペクトを感じるアーティストにも強く興味を持つようになりましたね。


「とにかく「濃い」80年代」

―――80年代前半からシンセやドラムマシンの登場でサウンドも変化していきます。そうしたサウンドの変化にギャップは感じませんでしたか?

森田:80年代を前半と後半に分けると、前半がリズムマシンとかドラムマシン、キーボードなどのシンセが登場し、後半はそれにサンプリングも入ってきます。ちょうど僕がブラック・ミュージックにハマったのが変化の真ん中位の時期で、違和感は全くなく、むしろ変化と言うか進化に興奮、感動してました。

当時、ベテラン勢が打ち込みサウンドで作品を発表すると、評論家やライターさんから否定的な声が多くなるのを不思議に感じてましたが、でも今振り返ると、60年代〜70年代の生音のグルーヴをリアルタイムで聴いて来た方々は、その衝撃、影響はやっぱり相当大きかったのだから、打ち込みに違和感を覚えるのも当然だったろうなと。

あと、当時ヒップホップも好きになっていたので、ヒップホップのストリート・サウンド要素が歌モノのトラックにどんどん浸透して行くのがとても楽しく興奮してました。

―――当時の音楽専門誌でも、新しいサウンドへの否定的な声は見られましたね。

森田:そういう記事を目にするたびに、逆に「良かった」と言われる時代のものを聴いてみたくなるんですよね(笑)。そうしてリアルタイムと過去を同時に追って行くので、バイト代は全部レコードやCDにつぎ込んでいきました。高校/大学時代の当然お金がない時に、バイトして学食代を削ってレコードやCDを買った経験は忘れられないです。

高校2年生の時、ずっと探していた1枚を遂に見つけたのですが、手持ちが300円足りなかったんですよ。だけど売り切れてしまうといけないから、お店の人に、お金が足りないので取っておいてもらえますかってお願いしたところ「お兄ちゃん、こんな渋いのが欲しいのか」って言われて。「80年代ソウルならこれを聴かないといけないっていわれているアルバムなので絶対に欲しいんです!」って答えると「出世払いでいいよ」って、レコ屋のおじさん、お金が足りないのに売って下さったのです。それがこのボビー・ウーマックの『The Poet Ⅱ』でした。

―――素敵な話ですね!

森田:それもあってこれは本当に思い出深い1枚です。当時は音楽誌も多く、ライターの諸先輩方に鼓舞されて、バイトしてレコードを買っては聴いての繰り返しで。その経験はその後の人生の糧にもなっていると思いますね。

―――80年代のブラック・ミュージックにはどんな印象をお持ちですか。

森田:当時は当たり前だと思っていましたが、男性シンガー、女性シンガー、グループも層の厚さが本当に凄かったなと。メジャーのアーティストはもちろん多かったですが、インディーズでも1作2作しか出さずに時代を駆け抜けたアーティストもたくさんいた。その1つ1つに名盤と言われる素晴らしい作品が本当に多い。とにかく内容の濃い作品が多かったのが「80年代」だと思います。

―――その幅の広さは、MTVでブラック・ミュージックが紹介されるようになったことが大きいのかもしれませんね。映像メディアで、あらゆるジャンルがクロスオーヴァーし、シーン全体がマスに広がっていきました。

森田:その象徴が、有名アーティストが集まった〈We Are the World〉やチャリティ・イベントの「ライヴエイド」だったのかもしれないですね。80年代のさらにすごいところは、そういった土壌ができて、ルーサー・ヴァンドロスに代表されるような、今まで裏方(ソングライターやバックシンガー、セッション・シンガー)で実力があった人が、どんどんソロ・デビューできた。それに押されてベテラン勢のリリースも盛り上がり、アリサ・フランクリンのように再び黄金期を迎えるベテランも多数発生してますね。
それを可能にした80年代のブラック・ミュージック界を活性化させた一人は、ホイットニー・ヒューストンだったと思います。彼女を筆頭に、マイケルやプリンスらが時代を創ってくれたことで生まれた名盤もたくさんありますよね。

―――林剛さんが紹介されたジョニー・ギルの1stアルバム(「80年代ソウルを語るVol.1」参照)で、サム&デイヴの〈僕のベイビーに何か?〉を取り上げていたように、80年代は60年代のカヴァーも多く、過去への繋がりやリスペクトをしっかり感じます。90年代にはサンプリングの手法で過去の作品に近づくこともありましたが、80年代はより60年代に近いので濃密な繋がりを感じます。

森田:これは個人的な考察ですが、その背景にはディスコ・ブームの影響が大きかったと思います。特に70年代後半はディスコ一辺倒になって、メッセージ性よりはサウンド中心で、ある意味無機的になる。ディスコ・ブームが終わって80年代が始まると、ディスコにはなかった血の通ったサウンドが多角的に生まれてきた印象があります。


「思い出深いアルバム5枚」

―――本誌では紹介できなかった森田さんのおすすめ作品を挙げてもらえますか。

1.Mavis Staples: Time Waits for No One(1989年)

ステイプル・シンガーズのリード・ヴォーカル、メイヴィス・ステイプルズが、プリンスの独自レーベル「ペイズリー・パーク・レコード」から発表した作品です。プリンスのメイヴィスへの愛とリスペクトに溢れたプロデュースによる、プリンス・サウンド(ミネアポリス・サウンド)にステイプル・シンガーズの精神性が融合した奇跡的な作品です。メイヴィスがスリリングで神々しく、そしてセクシーなプリンス化してます。


同アルバム収録の"Time Waits for No One"

2.James Brown: I’m Real(1988年)

フル・フォースがプロデュースしたJBのこの作品も最高ですね。リリースされた当時、ジェイムズ・ブラウンのファンク・クラシックは、ヒップホップでいたるところでサンプリングされていましたが、このアルバムでフル・フォースは、過去のJB(サウンドやメッセージ)をリスペクトしつつ、現役アーティストとしての存在感と説得力を訴えた内容で、JBはそれに余裕で応えてます。JBはこの後にもアルバムを出しますが、時代の潮流にリンクしたJB最後の名盤だと思います。タイトルの「I’m Real」の通り、JBの本質的なものがこれほどに機能した作品はこの後のJBのアルバムには無いです。


同アルバム収録の"Static"

3.Willie Clayton: Forever(1988年)
4.Willie Clayton : Never Too Late(1989年)

僕がCDを買い始めた頃に入手した思い出深いアルバムでもあるのは、P-VineがCDを出し始めたくらいの頃にリリースされた、ウィリー・クレイトンのシングルやインディーズ時代の曲をまとめた編集版『Forever』でした。

ルーサー・ヴァンドロス、フレディ・ジャクスン、アレクサンダー・オニールあたりは当時も有名でしたが、鈴木啓志さんが「歌の実力者はそれだけじゃない」として紹介していたのが、ウィリー・クレイトンでした。そう言われてしまうと、どうしても聴きたくなるじゃないですか(笑)。

僕の中では、グレン・ジョーンズ、ボー・ウィリアムス、そしてウィリー・クレイトンが80年代の3大実力者なのです。中でも、このウィリー・クレイトンだけは当時なかなか聴けなくて。だからこの『Forever』が出た時はすぐ手に入れました。このあとメジャーのポリドールから『Never Too Late』というアルバムをリリースするのですが、80年代は彼のようなインディーズのアーティストもメジャーデビューできる時代だったのだなと感慨深い1枚ですね。今回の特集では残念ながらアルバム・ガイドに入りませんでしたが、ウィリー・クレイトンは未だに南部のチタリン・サーキットの帝王として君臨していて、毎年1作〜2作はリリースしているので、読者にもファンが多いと思います。

5.Wilson Pickett: AMERICAN SOUL MAN(1987年)

あらゆる層のアーティストにとって盤石だったと思える80年代ですが、一方で思うようにリリースできなかったレジェンド級のアーティストが多く存在したのも事実だったので、ウィルスン・ピケットがなんとモータウンから久しぶりのアルバムをリリースすると知った当時、本当に驚きと歓喜したものです。60年代代中期から70年代初頭のアトランティック全盛期の頃の音源をがっつり聴いていた大好きなシンガーでしたし、本作には盟友ボビー・ウーマックの80年代名曲〈(I Wanna) Make Love To You〉のカヴァーもありで、とにかく期待していたのですが、いざ聴いてみたら、彼のシャウトと打ち込みのロックっぽいサウンドとの相性が悪く、ガッカリしたものでした……。ピケット御大が自信満々で元気いっぱいな分、何ともからまわりしているように聴こえて。レジェンドと名門レーベルであってもプロデューサーやサウンドメイクの重要性を深く実感させられた思い出深い作品です。

―――このアルバムはロック系のプロデューサーと組んでいるのですね。当時のブラック・ミュージックや若手のトップ・プロデューサーと組んでいたら違ったかもしれませんね。

森田:それだけプロデューサーの存在は大きいです。何でもうまくいくような80年代であっても、うまくいかないものもある(笑)と思った1枚でした。

―――プロデュースの話でいうと、80年代は成功したアーティストが他のアーティストをプロデュースする例も多く見られます。

森田:80年代はアーティストが主導でサウンドを作っていた時代でしたね。プリンスやザップ&ロジャー、あとはフル・フォースもそうですが、彼らのサウンドがあって、そのサウンドを生み出すミュージシャンがファミリーとして活躍していた。そして、フル・フォースならシンガーのシェリル・ペプシ・ライリーが、ザップにはシャーリー・マードックが、リック・ジェイムズだったらメリー・ジェーン・ガールズだったりと、お抱えの歌姫がいました。好きなアーティストごとにサウンドを掘るのも、80年代の楽しみ方のひとつですよね。


フル・フォースが手がけたシェリル・ペプシ・ライリーの"Thanks for My Child"

―――60〜70年代はスタジオやレーベルごとにサウンドの特色がありましたが、80年代になるとアーティスト独自のサウンドが目立ってきます。ザップ&ロジャーは、ファンク・バンドとして成功して、その中心人物のロジャー・トラウトマンがソロでも成功して、バンドと交互にアルバムを出して両方ヒットする。さらにファミリーもデビューして、スタジオを作って……と、多角経営で物凄いリリース量でした。

森田:今ではそういうスタイルは当たり前ですが、80年代に彼らがガラッと変えましたよね。多くの人が憧れを抱けるような、音楽の制作の仕方やアーティストの在り方・スタンスのモデルケースは80年代にたくさんあって、その背景にはヒップホップからの影響も大きかったと思います。

―――今回80年代の作品に改めて触れて、「ソウルは60〜70年代が黄金時代」という意見に一石を投じたくなりました。80年代にはその時代の素晴らしいソウル・ミュージックがあったのだと、思いを新たにしています。

森田:当時は「ブラコン」という呼称が生まれ、そこにはブラック・ミュージックの本流とは違ってセルアウトしたみたいな意味合いもあるにはありましたが、紛れもなくブラック・ミュージックの大充実期、黄金期であったのには間違いありませんね。

そして、あの時代を牽引した多くのアーティストは亡くなってしまいましたが、例えば、もしロジャーが存命だったらブルーノ・マーズと絶対に組んでいただろうな……など、叶わぬ妄想をいくつも抱いてしまいます。デジタルの魔法で今は何でも叶う時代ですが。

―――サウンドが多彩になり、現在の音楽にも通じる作品が多い時代なので、これから80年代ソウルを聴いてみようという人は、いろんな聴き方、楽しみ方ができると思います。

森田:トラップやヒップホップが好きな人も楽しめる作品もたくさんあると思います。メジャーとインディーズの作品を比べたり、プロデューサー別に聴いたり、いろんな方向から聴き比べると、こんなに違いがあるんだという発見があって楽しいですよ。僕も当時聴きそびれた作品を聴き直すと、こんなに凄かったのかという発見がいくつもあります。

ホイットニーの映画と本誌特集をきっかけに、当時を知らない若い方にはアナログ中古盤を手に入れて、サブスクとの音の違いも楽しんでもらいたいですね。「80年代ソウル」は“いまのところ”比較的安いので(笑)。

今回の特集で紹介されていない作品はまだまだありますから、80年代ソウル特集第2弾を楽しみにしています!


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特集 ホイットニー・ヒューストン映画公開記念─80年代ソウルの基礎知識