ブルース&ソウル・レコーズ

【LIVE REPORT】熱演ギタリストは肉眼で見てこそ パーラー・グリーンズ来日公演リポート

文/原田和典
Photo by Kazumichi Kokei

2年連続、真夏に体調を崩した。落ち込んだ。こうしている時も地球は回っているというのに。

起きている時に落ち込んで寝込んでいるときに寝込んでいる間にも、野外フェスに出ていたあのバンドは良かったとか、どのパフォーマンスが圧巻だった、という反応は何かしら入ってくるものだ。「ああ、俺は見逃した」という悔しさよりも体のしんどさが上回る感じではあったが、それでもなんというか、心へのねっとりとしたこびりつきは確実にあって、特にティム・カーマン、アダム・スコーン、ジミー・ジェイムズという現行ジャム・バンド~インスト・ファンクのツワモノ3人が揃ったパーラー・グリーンズを「FUJI ROCK FESTIVAL ’25」で見た人は本当にラッキーだよなあ、と感じた。それだけに彼らが寒くなり始めた11月に再来日し(いつから日本に秋が消えたのだろう)、東京と大阪のライヴスポットでフルレングスの実演を繰り広げてくれたのは、フジロックに行けなかった者にも、フジロック体験を再びと駆けつけた者にも、大きな喜びを与えたはずだ。私にとってスコーンといえばシュガーマン・スリーの辣腕オルガン奏者であり、ジェイムズといえば元デルヴォン・ラマー・オルガン・トリオの、顔芸込みで熱演するギタリストである。そのふたりが、ボストン発のブルース系バンド“GA-20”の元ドラマーであるカーマンの呼びかけに応じて集まったのがパーラー・グリーンズなのだから、これは、この手のサウンドを愛する者にとっては一種のサミット・ミーティングでもあるのだ。

ステージには向かって左からスコーン、ジェイムズ、カーマンが並ぶ。スコーンとカーマンは向かい合って演奏し、しきりにアイコンタクトを送りながら呼吸を合わせてゆく。2台のギターを持ち替えながら真ん中に立ってプレイしたのは、おそらくバンドの花形スターといえるであろうジェイムズ。その弾きっぷりは“全身を使った”と表現したくなるもので、“肉眼で見てこそ盛り上がる”的パフォーマンスもたっぷり。MCで超満員のオーディエンスを煽り、ギターを高く掲げて裏返し、首を伸ばして、張られている弦に食らいつくかのような歯弾きも披露した。パーラー・グリーンズがハモンド・オルガン(レスリー・スピーカーに接続)~ギター~ドラムという、古式ゆかしき楽器フォーマットを持ちながらもいわゆる、ジミー・スミス・トリオとかジミー・マグリーフ・トリオとかリチャード・グルーヴ・ホームズ・トリオ等からは一線を画す響きを出している背景には、ジェイムズの演奏スタイルも大きく影響していそうだ。デルヴォン・ラマー・オルガン・トリオ在籍の頃以上にワイルドな、クラシック・ロックへの傾倒を感じさせる弦のかきむしりや音色の荒れであり、即興パートやコンピング(伴奏)のフレーズも、“ジャズに染まらずにここまで来たのが俺だ”と宣言しているかのように私には感じられた。良いではないか。ジャズのイディオムでオルガンと巧みに絡むギタリストを聴くのであればグラント・グリーンやケニー・バレルの古典的演奏が山ほどある。

スコーンのオルガンが放つベース・ラインも極太だった。私はその数日前、ブリーチャー=ヘマー=ガッドという3人組(日本ではスティーヴ・ガッドがリーダーであるかのように紹介)のライヴで、ダン・ヘマーのオルガン演奏を堪能してきたばかりなので、どうしてもそれと対照してしまう。ヘマーは主にフット・ペダルでベース・ラインを構築し、左手ではコードを弾いたりドローバーを細かく操作していた。「そういうアプローチもあるんだな」と思った。が、スコーンは伝統的というか、とにかく左手でベース部分を出し続ける。そのうねりの気持ちよさ、カーマンのキック(バスドラ)との一体感。このソリッドな土壌があるから、ジェイムズはあそこまでイクことができるのだろう。

演目はアルバム『In Green We Dream』からはもちろん、できたての新曲、カヴァー曲をバランスよく配した構成。日本ではオリヴィア・ニュートン・ジョンでヒットした〈ジョリーン〉、ジョージ・ハリスンの〈マイ・スウィート・ロード〉等にも、パーラー・グリーンズ以外の何ものでもないトリートメントが施された。演目にも共通していたのは、“踊れる”アレンジであるということか。観客の層も青年~中年が主という感じで、実際にファンキーな音楽に取り組んでいる人や、こうした音楽を推しているDJも多数来場していたのでは、と勝手に思っている。ああ、楽しかった!

協力 BIG NOTHING