ブルース&ソウル・レコーズ

【SPECIAL INTERVIEW】ザ・ナイトキャッツでの活動ほぼ半世紀 ウェストコースト・ハーピストの雄 リック・エストリン・インタヴュー RICK ESTRIN INTERVIEW

恐らくアメリカのブルース・シーンにおいて最も息の長いバンドのひとつであろう、リック・エストリンのザ・ナイトキャッツ。リトル・チャーリー・ベイティ(g; 2020年死去)がバンドを結成したのは1970年代。1987年のレコード・デビューから数えても37年が経過している。
2008年のチャーリーの引退に伴いリックが名実ともにフロントマンとなり今日も健在だ。2024年にもアリゲーターから新作『Hits Keep Coming』をリリースをした。
そのリックが9月に来日した。とは言ってもツアーではなく、観光旅行だ。日本は初めてとのことで、せっかく遠路はるばるお越しいただいたのだからインタヴューをさせてほしいとお願いしたら快諾してくれた。エンタテインメント精神溢れるバンドの顔という印象とは異なり、オフステージのリックは物静かな紳士で穏やかな口調で語り出した。
あれこれ話してくれ、気がついたらゆうに1時間以上が経っていた。ブルース&ソウル・レコーズ No.181の誌面とウェブ版、二つに分けてその内容を紹介しよう。

取材・文/陶守正寛


──ナイトキャッツは凄く長く続いていますよね。結成は1970年代初頭くらいでしたか?

リック・エストリン(以下RE)「1976年だよ。その年に僕がバンドに参加したんだ」

──ほぼ半世紀が経つんですね。

RE「そうだね。でもそれは考えないようにしているよ。常に前を向くようにしているんだよ」

──フロントマンは常にあなただったのに、リトル・チャーリー&ザ・ナイトキャッツという名前にしたのはなぜなのでしょうか?

RE「僕が加入する数カ月前にチャーリーがバンドを結成していて、既にその名前だったんだよ」

──なるほど。でもあなたは相当チャーリーと間違われたのではないですか?

RE「そうだね。でも、その点については考える時間がたくさんあった。で、後から考えてみるとそれでよかったんじゃないかと思っているんだ。もちろん混乱を生んだという面もあったんだけど、僕らの結束を強めてもくれた。もし僕が去ったら、彼(チャーリー)は『皆、きっとチャーリーはどうした?と言い出す』と心配したに違いない。僕が(バンドの)顔であり、声だったからね。一方で、もし僕が彼抜きで一からやり直すとすれば、まず自分はチャーリーではないというところから説明しなければならないしね」(注:ややわかりにくいのだが、要はお互い持ちつ持たれつの関係だったということのようだ)

リトル・チャーリー(左)とリック・エストリン。1999年10月23日、ニューヨークのクラブ《マニーズ・カー・ウォッシュ》にて(Photo by Hiroyuki Ito/Hulton Archives/Getty Images)

──2008年の『On The Harp Side』であなたは初めて自分の名前を前面に出したんですよね? ナイトキャッツではない初の作品ですね。

RE「そう。リトル・チャーリーがバンドをやめて、僕はアリゲーターとの契約がない状態になったからね。というのも、(アリゲーターの)ブルース(・イグロア)と契約していたのは彼と僕という形だったからなんだ。このCDで僕はチャーリーではないということを人々に教えることになったんだよ」

──チャーリーが抜けたのは健康上の問題があったのですか?

RE「そう。彼には心臓の持病があった上に病気不安症に悩まされていたんだよ。不整脈があって、症状が出た際には恐怖で大騒ぎになって、病院に駆け込んでいた。それをツアー中にやっていたんだ。あと彼の妻が亡くなったとき、彼は潮時と感じたんじゃないかな。ツアー中に彼女が昏睡状態に陥ったので、僕らも気の毒に思ったんだよ。
リトル・チャーリーは、驚異的なアーティストだったよ。素晴らしいギター・プレイヤーだったね。天才だよ。彼は『僕は引退する。これが最後の年だ』と何年もの間言い続けていたよ。
彼が本当にバンドをやめることになったときは、僕はどうしていいのかわからなかったんだ。ベースのロレンゾ(・ファレル)と当時のドラマー、ジェイ・ハンスンはいずれもバンドを続行したいと考えていたけど、チャーリーは特別な存在だったし、見劣りのするものにはしたくなかった。でも、キッド(・アンダーセン)だったら(チャーリーの後任が)務まると思ったんだ」

──彼とはどのように知り合ったのですか?

RE「彼は20歳の頃、(故郷ノルウェーから)アメリカに移住してテリー・ハンクのバンドで活動し出したんだ。彼の以前の奥さんがサクラメント出身で、彼もその関係で僕が住んでいたサクラメントに引っ越してきた。それ以前にも彼と会ったことはあったんだけど、彼のことをよく知る関係となったのはその時以降だね。2008年にデニス・グルーンリングが作ったあまり知られていないリトル・ウォルターのトリビュート作(『I Just Keep Lovin' Him (A Tribute To Little Walter) 』)で一緒に仕事をしたよ。これはキッドにとってレコーディングとしては最初の仕事のひとつだった」

──彼は今やミュージシャンたちを繋げるハブのような役割を果たしていると思いますが、当時からスタジオを持っていたのですか?

RE「当時は今のようなスタジオは持っていなかったよ。今も持っていると言えないかも知れないけどね(笑)。コンピュータが一台とプログラム、そしてマイクを沢山いくつかの部屋に持っていたに過ぎないよ」

──今もそんな感じなのですか?

RE「そうと言えるかもね。でも今はコンピュータを何台か持っているし、楽器だって増えているよ。でも彼のグリースランド・スタジオは、もともとは彼の家でね。リヴィング・ルームにヴォーカル・ブースを作って、台所にグランド・ピアノを置いて、コンロを撤去して更に機材を揃えたんだよ」

──彼はまだそこに住んでいるんですか?

RE「彼と奥さんのベッドルームがあるけど、それを除けば全て音楽のもので溢れているね。あそこは複層住戸で、隣の部屋も借りて彼の妻リサと彼女のお父さん、弟が住んでいる。料理はそっちでやっているよ(笑)」

──今のナイトキャッツについてお聞きします。メンバー・チェンジは少ないようですね。

RE「うん。キッドは2008年から一緒だし、ロレンゾ(b)はもう20年以上一緒にやっているよ。D’マー(デリック・マーティン)(ds)はバンドに入って5年になる。安定したバンドが好きなんだ。いい人たちが揃っても、化学反応がおきるようになるまで時間がかかるからね。今のバンドはD’マー加入で魔法のようないい化学反応がおきているよ。もし、メンバーの誰かが抜けたら僕は続けていけるかわからない。それくらい、今は完璧なんだよ」

今回リックは観光の合間を縫って中野ブライトブラウン、京都Stardust Clubなどブルースのお店も訪れ、高円寺JIROKICHIではKOTEZ、大野木一彦らのギグに飛び入りして客席を沸かせた。次回は演奏活動での来日もぜひ期待したいものだ。

RICK ESTRIN & THE NIGHTCATS
The Hits Keep Coming

CD(Alligator / BSMF-2868)[発売中]

写真:Masahiro Sumori