いったいいつまで、俺はお前の奴隷なんだ
あと何年、お前の奴隷なんだよ
もうお前の汚いやり方にはこりごりだ
ピーティ・ウィートストロー〈スレイヴ・マン・ブルース〉1935年
ブルースに「スレイヴ(奴隷)」という言葉が出てくるとドキリとしてしまう。数十年前まで実際に奴隷だった人々を祖先に持つアメリカ黒人が、恋人との関係を奴隷のようと表現することに驚く。と同時に彼らのしたたかさも感じる。恋人との関係と思わせておいて、裏の意味は……と深読みもしたくなる。
民族学者や音楽研究者たちはアメリカ黒人の文化のルーツを彼らの出身地アフリカに求めている。北米大陸に連れてこられた奴隷の多くは西アフリカ出身者で、同地の音楽とブルースには共通する性質があると指摘している。西洋音階から外れる「ブルーノート」はアフリカ起源の音楽的特徴として語られることが多い。綿花畑での作業時に歌われた「フィールド・ハラー」には、ヨーデルやフーピングと言われる唱法が用いられたが、それもアフリカに起源があると言われ、ブラインド・ウィリー・ジョンスンやハウリン・ウルフの歌に顕著な、声を潰したり濁らせたりする唱法は、アフリカで見られるヴォイス・マスキングと呼ばれる唱法の名残だともいう。「グリオ」と呼ばれる西アフリカの音楽家たちの集団内での役割をブルースマンと重ねる者もいる。
奴隷がアフリカから持ち込んだものが、ブルースにも受け継がれているのは確かだ。とはいえ、アフリカ起源のものだけでブルースが誕生し発展したわけではなかった。アイルランド移民が持ち込んだ民謡などのヨーロッパ起源の音楽や、ミュージシャンのオル・ダラが強調していたネイティヴ・アメリカンとの交流もブルースをアメリカ黒人独自の音楽とした要因となる。デルタ・ブルースの創始者と言われるチャーリー・パットンやオクラホマ生まれのブルース巨人、ローウェル・フルスンにはネイティヴ・アメリカンの血が流れていた。
ブルースはアメリカでしか生まれ得なかったとも言えるのである。
O. Newton Cripps / Library of Congress
綿花を摘む黒人労働者たち。1902年頃撮影。綿花畑での労働時に歌われたフィールド・ハラー(アーフーリーとも呼ばれる)はブルースの初期形態とも言えるものだった
Corey Harris / Mississippi To Mali(Rounder 11661 3198-2) [2003]
1969年生まれのコーリー・ハリスが、アリ・ファルカ・トゥーレら西アフリカのマリのミュージシャンとの共演を通して、ブルースとアフリカ音楽のつながりを作品に表わした意欲作