ニューオリンズR&Bのパイオニアのヒューイ・”ピアノ”・スミスが、2月13日夜に死去、89歳だった。長女のアケリンさんによると、ルイジアナ州バトンルージュの自宅で就寝中のことだったとのこと。
ヒューイ・”ピアノ”・スミスは、ニューオーリンズR&Bはもとより、20世紀のポピュラー音楽を形作ったキーマンのひとり。1934年1月26日ニューオーリンズに生まれ、10代の頃から音楽活動をスタートさせる。1953年にサヴォイ・レコードからシングル” You Made Me Cry”でデビュー。これは大きなヒットにはならずも、1956年にエイス・レコードに移り、1957年の”Rocking Pneumonia And The Boogie Woogie Flu”に代表される、のちのスタンダートとなる曲を連発。底抜けに楽しいヒューイ・スミス・アンド・ザ・クラウンズのサウンドは、アラン・トゥーサンやドクター・ジョンを始めとするミュージシャンたちに大きな影響を与え、ニューオーリンズ・サウンドの土台となっている。
1960年代はエイスからインペリアル、インスタントと移籍して活動を続けるも、ヒューイは彼の母親が信仰していたエホバの証人への信仰を強めていき、それに伴い1970年代に入ると活動のペースは落ちていく。しかし、1978年に新作アルバムのレコーディング(1981年に英チャーリーより『Rockin' & Jivin'』としてリリース)、1978年、1979年、1981年とニューオーリンズのティピティーナスでの公演、ジャズフェスにも2回出演するなど活動は続けていた。
1981年にはバトンルージュに移住。新天地でも活動を模索したもののうまくいかず、その後は完全引退状態となる。1988年から2000年までの間、ヒューイはロイヤルティ回収を請け負う業者から訴訟を起こされ、敗訴という結末を迎えてしまう。裁判が終結した2000年には、ロックンロール・ファウンデーションよりよってロックンロール・パイオニア賞を授与。ニューヨークで開催された授賞式に赴き、久々のステージに立つも、これが彼の生涯最後のステージとなってしまった。
ヒューイの生誕90周年となる来年、ニューオーリンズではヒューイ展の企画の話も挙がっているという。昨年2022年には、ヒューイ・"ピアノ"・スミスの伝記『ニューオーリンズR&Bをつくった男 ヒューイ・“ピアノ”・スミス伝 ロッキング・ニューモニア・ブルース(ジョン・ワート [著] 陶守 正寛 [訳])』がDU BOOKSより刊行されているので、彼の偉大な生涯を讃えるべく、手にとっていただけたら幸いだ。
※メイン画像:ヒューイ・"ピアノ"・スミスの伝記『ニューオーリンズR&Bをつくった男 ヒューイ・“ピアノ”・スミス伝 ロッキング・ニューモニア・ブルース」(2022年/DU BOOKS刊の書影より)