16年の歳月を経て電子版として復刊した、日本随一のジャイヴマンで真のブルースマン、吾妻光良の幻の名著『ブルース飲むバカ歌うバカ[増補改訂版]』。
本書は本場ブルースマンの貴重なインタヴューや共演体験記、ブルースマン姓名判断、ブルース福笑いなどの抱腹絶倒のエッセイに加え、電子版には追悼記事やコージー大内をはじめとする日本各地の弁ブルースの紹介、さらにはブルース・コスプレ大会(!?)などを追加収録。ユーモラスに、時には涙とともにブルースを綴る、ファン待望の1冊となっている。
今回は、電子化にあたり追加収録された「『弁ブルース』の世界 第1回」を特別公開。書籍では、日田弁でブルースを歌うコージー大内をはじめ、高知弁で歌うROIKIや金田"デルタ"正人、ローンウルフ造田氏ら弁ブルース一派が登場するので、ぜひチェックいただけたら幸いだ。
『弁ブルース』の世界 第1回
「どんくれーどんくれー焼酎、
呑みゃいいん、ていげなもう (x2)
呑みゃ呑むほず思い出す。お前ん顔んじょー」
(どのくらい、どのくらい焼酎、呑めばいいの、
もう沢山呑んだよ (x2)
呑めば呑むほど思い出す、お前の顔ばかり)
ーーコージー大内 「角打ブルース」より
九州大分は日田弁である。重くくぐもった音色のアンプリファイドされたフォーク・ギターの音に乗って、ブルーノートにまみれた音列で響くその歌声は、さながらライトニン・ホプキンスがゴールドスターにのこした「ウィスキー・ブルース」の様ですらある。友人のジョジョ沢渡から彼の主宰するマルヨシ・レーベルから出す新作の録音を手伝ってくれないかという打診があったのは昨年春頃のことだった。もともと録音という作業は大好きだしジョジョが連れてくる歌手ならばそう外れはない筈だ。二つ返事で引き受けたのが、コージー大内、またの名を「ライトニン大内」のアルバム制作であった。日本のブルース界も、レイジー・キムさんの時代から数えると既に40年近い歴史を重ねており、モダンやシカゴ・ブルースの完全コピー全盛時代にあっても、キムさんが日本語で歌うキング・ビー・ブルースや、憂歌団、更にムーニーさんやマクヴァウティ・藤井、不肖手前どもも交えて、この日本という風土に適合した形のブルースやR&Bなどを追求する取り組みは連綿と続いてきた。そんな中で、私も今回の録音にたずさわるまで一切知らなかった世界があった。それが『弁ブルース』というムーヴメントである。簡単に言えば非常にローカルな日本の方言で歌われるブルースのことであるが、標準語とは大きくかけ離れたイントネーションや発音によって従来の日本語が抱えていたメロディ回しやタイミングの制約から大きく解放され、新たな楽曲として発展していく可能性を秘めているのである。今回から数回に分けて、この『弁ブルース』の世界に迫ることとしたい。
「おれげん親父。毎日ギャンブルんじょー
おれげん親父、しごつぁよこうてんじょー」
(俺ん家の親父。毎日ギャンブルばっかり
俺ん家の親父、仕事は休んでばっかり)
ーーコージー大内 「おやじブギ」より
大内のこれまでの人生やブルースとの関わりにまつわる話は、さながら昔のブルースマン達の様にカラフルなエピソードに彩られている。67年(66年という説もある)大分は日田で生まれた大内の父は、いわゆる飲んだくれであり昼間から仕事をさぼって競輪場や角打(カクチ:立ち飲みで簡単なツマミを出して客を飲ませる酒屋のこと)に顔を出し、金がなくなると息子のラジカセを質に入れたり、貯金通帳をくすねたりしていた人物であり、現在も地元の角打会会長を務めている。ちなみに角打会会長、という立場にどういう権利や義務があるのか、は筆者には知る由もないが。夜間高校時代にフォークにしびれた大内は、尾崎豊などの歌をコピーする様になったがある日ライトニン・ホプキンスのレコードに出会い衝撃を受けた。
「そん時からプロのミュージシャンを目指したばい。ライトニンの様に弾いて歌えれば日本でも絶対に売れる、紅白出れる、そう思っちょった。」
何とまあ世間知らずな、という反応もあろうが、それだけ純真な少年時代を過ごした、ということでもあろう。
「ここいら辺に、じょうもんな、おらんかい、Oh, Askin’ All!」
(この辺に、いい女は、いねーのか。おー、あそこにいるぜ!)
コージー大内 & ローンウルフ造田
ーー「タップでナンパ」より
果たして日田というところが日本でも稀な美人の産地なのかどうか筆者はあずかり知らないがプロ入りを決意した大内は片手にギター、傍らに現在の大内の妻でもある彼女を連れて東京に出てきた。そしてとある中央線の駅のトンカツ屋で二人でバイトをしながら生計を立て、暇さえあればライトニンのブルースをコピーする、そんな日々を過ごしていた。そして人生は数奇なもので、そのバイト先から2〜3ブロック歩いたところにあったのが、いまや伝説となっていると言っても過言ではない阿佐ヶ谷のブルース喫茶「ギャングスター」だったのである。しかし、日田から出てきた大内にとっては東京のブルース喫茶で演奏をさせてほしい、と頼むどころか、その店の中に入っていくこともできなかったという。そんなある日……、
「アンタ、アンタ、あそこ座っとる人!」
「なーにゃ?」
「あん人、ギャングスターんマスターばい!」
「そげなこつあるもんかい!」
「ホントって! 歌わしちくれ、言うてみたら?」
「…………」
「もーう! 私が言うちゃるばい! あの……すいませんけど、ギャングスターのマスターの方ですよね?」
この驚くべき内助の功あって、ギャングスターのマスター、ジョニー氏はライトニン大内を知ることとなった。
「へえ……、ライトニンやってるんだ……。珍しいね。じゃさ、今度の土曜日おいでよ。対バンになるけど前座で歌えばいいじゃない。」
天にも上る心地の大内は「モジョ・ハンド」をはじめとする珠玉のレパートリー8曲をたずさえて、ライヴの当日ギャングスターの店前にたたずんだ。まだ陽の落ちていない商店街に店の中から聞こえてくるのは、耳になじんだサン・ハウスのブルースである。(さすが、東京んブルース喫茶は趣味がええばい)と思いながら階段を昇り店の中に入っていくと何とそこで鳴っていたのはレコードの音ではなく、ネズミ男、という芸名でも知られている町田謙介のリハーサルだった。そして大内は生まれて初めて生で見る町田のギターと歌に完全にノックアウトされてしまったのである。
「わしもブルース歌っちるつもりやったけど、こげん凄い人がいたっち。こん人ん比べりゃなーんもしきらんくせん、できねぇーもんはしゃーねぇーばってん……」
落ち込む気分に輪をかけて恥ずかしさを覚えた大内は、その日のライヴのオープニング・アクトである自分のコーナー全8曲を何の喋りもはさめずに僅か20分、いや18分で終了してしまった。2部の町田のライヴも終わりすっかり打ちのめされた大内が、2度とこの店に出ることもあるまいとジョニー氏に挨拶をして店を出ようとすると、
「あ、大内君、これギャラ。少なくてごめんな。あとまた来月歌ってよ。」
大内は今でもジョニー氏に足を向けて寝られないと語っている。さて、そんな大内が何故『弁ブルース』を手がける様になったかというと……(以下次回)
.
コージー大内『角打ブルース』
◆発売元:マルヨシレコード
◆価格:2,500円(税込)/好評発売中
1956年新宿生まれ。1970年にB.B.キングの来日公演を見て以来ブルースを聴く様になり、1973 年の或る夜に愛犬のチャーリーに飯をよそった時以来、更にのめり込む様になる。高校、大学を通じ、様々なブルース・バンドで活動したが 1980年某社に就職。が、バンドの魅力は断ち難く、休日などを中心にバンド活動も継続していた。しかし2021年には勤めを終え、遅まきながらプロ入りを果たす。吾妻光良&The Swinging Boppersや吾妻光良トリオ+1などで活動中。
「ブルース飲むバカ歌うバカ[増補改訂版](電子版)
◆各電子書店にて好評発売中
◆価格:1,500円(税別)
◆発行元:トゥーヴァージンズ
honto
Kinoppy(紀伊國屋書店)
楽天kobo
BOOKWALKER
yodobashi