[文]妹尾みえ
◆全てはスパニッシュ・ハーレムから始まった
これまで星の数ほど存在したガール・グループの中でも、ザ・ロネッツは間違いなく一等星級のスターだ。本書はその中心にいてキュートな歌声で周囲を虜にしていったロニー・スペクターのマイ・ストーリーであると同時に、一人の女性が経験した類い希なロックンロールの歴史でもある。
ヴェロニカ・ベネットことロニー・スペクターが生まれたのは1943年、N.Y.のスパニッシュ・ハーレム。白人の父親とブラックとチェロキー族の血が流れる母親のもと、ハーレムを庭にして育った。この地元っ子の肌感覚で語られるハーレムやアポロ劇場などの舞台裏は新鮮だ。母親の働くドーナツ屋にアポロ劇場のオーナーやフランキー・ライモンが来るなんて、田舎に育ったら夢のまた夢でしかない。いわゆる黒人でもなければ白人でもなくミクスであるがゆえにアイデンティティに悩んだりもするのだが、それを含めロックンロールの息吹と多感な少女時代が重なる序盤にはわくわくさせられた。
◆“女の子“が生きぬいたショー・ビジネス界
こうして文化の中心N.Y.、そしてスパニッシュ・ハーレムを身近にしてくれるところから始まる本書は、1ページ2段組、本文だけで300ページ近いボリュームながら、少女がつけた日記のように出会った人、日々の出来事がイキイキと描かれている。
夢見がちでおませでワガママで、時に驚くほど大胆なのに臆病で傷つきやすい。そんな“女の子”ならではの資質を、ロニーはすべて持ち合わせているように見える。そして男性が牛耳っていたショー・ビジネスの世界に身を置きながら、拙い恋愛、拙い結婚、夫からの異常な束縛、キャリアの中断、不妊治療、養子縁組、子育て、再婚、出産・・・と女性として産まれたがゆえの現実に一つひとつ向かって行く。
もちろんビートルズ、ローリング・ストーンズはじめロックンロールの歴史に名を残す人たちで周囲は華やかだが、こちらが思うほど特別な感じはしない。スキャンダラスな場面もあるけれど、むしろ行間から伝わってくるのは同じ時代に居合わせた才能のある若者たちが、お互いを認め合いながら人生をクリエイトしていこうとするエネルギーだ。
才能があればこそ惹かれ合い、交じり合う。それがプラスになることもあればマイナスに働くこともある。ロニーと夫フィル・スペクターの関係は残念ながら後者だったわけだが、それでも彼女はシンガーとしてのプライドを失わなかった。愛情たっぷりの序章を寄せたキース・リチャーズは彼女のことを「強い女の子」と表現しているが、確かにどんな時も腐らず、女の子の夢を生涯貫きとおしたのがロニー・スペクターだったのだ。
◆ウォール・オブ・サウンドを理解するには
夫としては不適格でもプロデューサーとしては最高だとロニーも認めるフィル・スペクターについて深掘りしたくて本書を手に取る人もいるかもしれない。だがそれを想像していたかのようにロニーはこう言い切る。
「フィルがどうやってウォール・オブ・サウンドを作ったのかとたくさんの人に訊かれたけれど、フィルのサウンドを理解するにはフィルを理解しなければならない。ウォール・オブ・サウンドは実際、彼自身の大仰なパーソナリティが反映されているということにすぎない」
技術面での分析は山ほどあるが、こんな風に斬り込んだ回答は見たことがない。何の解決にもならないとがっかりする人もいるだろう。でも理屈抜きの彼女の言葉は私の中にすっとおりてきて、この一文だけでロニーへの共感と信頼は確かなものになった。
◆ディスコグラフィも充実
「ロニーが個人またはロネッツの一員としてリリースしたヒットも、失敗作も、そしてその間に位置するあらゆるレコードも網羅してリスト化しようという試みである」と前置きされた巻末ディスコグラフィも力作だ。それを眺めているだけでも、スパニッシュ・ハーレムでスターを夢見た女の子の気持ちを忘れず、ひたすらにロックンロールを歌うことに一途だった姿が浮かび上がってくる。
2007年にようやく受賞した(長くかかった理由も本書に書かれている)Rock and Roll Hall of Fameのスピーチで「Let’s Rock!」と拳を上げたロニー。最期まで自分自身の人生を受け容れ、潔く生きた永遠のロッキン・ガール。ショー・ビジネスに生きた女性の眼から、すばらしい自伝を書き残してくれてありがとう。
『ロニー・スペクター自伝 ビー・マイ・ベイビー』
発売日:2024/01/12
著者:ロニー・スペクター/ヴィンス・ウォルドロン(著)、安江幸子(訳)、五十嵐正(監訳)
定価:3,600(+税)
仕様:A5/344ページ
ISBN:978-4-401-65190-0
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