2018.8.17

“クイーン・オブ・ソウル” アリサ・フランクリン逝く

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 その圧倒的な歌唱力と影響力で、“ソウルの女王”と呼ばれたアリサ・フランクリンが、デトロイトの自宅で8月16日9時50分(現地時間)に亡くなりました。76歳でした。その数日前に危篤の報が流れ、その容態が心配されていたなかでの逝去でした。死因はすい臓がんと伝えられています。
 訃報を受け、各メディアがその業績が讃え、オバマ前大統領をはじめ、各界の著名人、シンガーやミュージシャンから哀悼のコメントが相次いでいます。

※本サイトでは一般に用いられている「アレサ」ではなく「アリサ」と表記しています。実際の発音は「アリーサ」がより近いです。

[追悼]レディ・ソウルは歌う 10代から変わらない無垢な力

 2015年末から年明けにかけて、ひとつの動画がネット上で話題になった。優れた芸術家に贈られるケネディ・センター名誉賞の2015年度の受賞者、キャロル・キングを祝し、その授賞式にアリサ・フランクリンが登場した様子が動画サイトにアップされたのだ。毛皮のコートをまとい、ステージに登場したアリサは、オバマ大統領夫妻やクライヴ・デイヴィスらが見守るなか、ピアノへと向かい〈ナチュラル・ウーマン((You Make Me Feel Like) A Natural Woman)〉を歌い出す。その歌い出しを聴き、作者のキャロル・キングは「信じられない!」といった様子で感極まった姿を見せていた。その曲が大ヒットしてから50年近くが経とうとしているというのに、アリサの歌声はオリジナル版と同じく、品格と崇高な透明感に包まれていた。貫禄だとか、年輪だとか、そうしたものよりも先に、透き通るような感覚がまっすぐに入ってきた。もちろんアリサも人の子、年齢とともに高音はかすれてはいる。しかし、その歌声が放つ本質的な魅力はなにひとつ変わっていないと感じたのである。

 アリサと交流のある黒人女性詩人/活動家のニッキ・ジョヴァンニが、書籍『I Never Loved A Man』(Matt Dobkin, 2004)に寄せた序文で、アリサを「クイーン・オブ・ソウル」ではなく「レディ・ソウル」と呼んでいたことを思い出す。「レディ・ソウル」は、1968年に発表された、アリサのアルバムに付けられたタイトルだ。品位のある、しとやかな女性を指す、「淑女(レディ)」という言葉に、時代のキーワードでもあった「ソウル」を組み合わせた言葉。「レディ・ソウル」はアリサの歌声にふさわしい称号だ。

 音楽表現者としてのアリサは、品位に満ちている。その歌声は、女性シンガーがしばしば“武器”とする、かわいらしさを訴えるものでもなく、セクシャルなアピールをすることもほとんどない。失恋を歌っても、お涙頂戴にならず、苦しみながらも背筋が伸びているような感じを受ける。男女間の問題を元にした〈リスペクト(Respect)〉や〈シンク(Think)〉をアリサが歌うと、女性の地位、または人種間の問題を歌っているのだと拡大解釈されるのも、アリサの歌声の特性からくるものだろう。

 アリサ自身、歌にセクシャルな面を見て取られるのを嫌っていた。デイヴィッド・リッツによる評伝『アレサ・フランクリン リスペクト』(新井崇嗣訳/シンコーミュージック刊)によれば、記者から〈ドクター・フィールグッド(Dr. Feelgood)〉は性的な歌ですねと指摘され、あれは恋愛の歌でセックスではないと反論したというし、ジェイムズ・カーの代表曲で逢瀬がテーマの〈ダーク・エンド・オブ・ザ・ストリート(The Dark End Of The Street)〉をアトランティックのプロデューサー、ジェリー・ウェクスラーがアリサに歌わせようとしたときも説得に苦労したという(同書 p.235)。そうした姿勢は、バプティスト教会の牧師の娘として生まれたことが大きく関係しているに違いない。

“至上”への道

 アリサ・ルイーズ・フランクリン(Aretha Louise Franklin)は1942年3月25日、メンフィスに生まれている。父C.L.フランクリンは高名な牧師、母バーバラも歌のうまい女性だったと伝わる。アリサが4才のとき、一家はデトロイトへ移住。その2年後、アリサにとって大きな出来事が起こる。母が家を出たのだ。幼い子供にとって、母との別れがどれほどつらいことだったか。以降、アリサは心を閉ざしがちになったという。

 一方で、その音楽の才は早くから開花していた。50年代初頭には黒人社会で揺るぎない地位を築いていた父C.L.は自宅に一流のミュージシャンを招き、ジャム・セッションが繰り広げられていた。その中にはジャズ・ピアニストの巨匠、アート・テイタムもおり、アリサは大いに影響を受けたという。父のニュー・ベセル・バプティスト教会で歌い出すと、その歌声は一躍耳目を引くことになる。1956年にはアリサの歌声がレコードになった。父の教会でのライヴ録音である。その歌声は14才の少女とは思えない。いや、年齢という物差しを超越した、気高い歌声であった。歌うことが全ての悲しみや不安をアリサから取り除いていたというが、まさに別世界へ入り込んで歌っている、そんな印象を受ける。それはアリサの傑作全てに当てはまるものだ。

 1960年、18才で大手レコード会社、コロンビアと契約を交わした後のキャリアについてはよく知られるところだ。商業面で満足のいく成功を得られなかったコロンビア時代。そして、公民権運動と連動した、新たな黒人意識を反映したソウル・ミュージックが世に広まる中、1967年にアリサはアトランティック・レコードへと移籍し、〈貴方だけを愛して(“I Never Loved A Man (The Way I Love You)”〉で大ヒットを飛ばす。R&Bチャート1位を記録した同曲に続いて、翌68年までに6曲のNo.1ヒットを生み出している。これによってアリサは時代の象徴となり、「ソウルの女王」と呼ばれることとなった。

 その後も順調にヒットを続けたアリサに転機が訪れたのは、1971年。ロックの殿堂と呼ばれたフィルモア・ウェストに出演し、そこで録られたライヴ録音がアルバム『アレサ・ライヴ・アット・フィルモア・ウェスト(Aretha Live At Fillmore West)』となり、ゴールドディスクを獲得。白人の若者たちの支持をさらに増やすことに成功した。72年には教会でのライヴ録音による『至上の愛(“Amazing Grace”)』が制作される。マーヴィン・ゲイは本作をアリサの最高傑作だと断言し、カーメン・マクレエは「芸術が完璧の域に迫っている」と語った(前掲書p.275, 279)。間違いなく『至上の愛』はアリサのキャリアのひとつのピークだった。そこには極めて高い純度の歌がある。性別や年齢、人種や社会的地位、そしてゴスペル・アルバムでありながら宗教さえも超えて、人々の胸の奥深くに入り込む、無垢で圧倒的な力がある。別次元へと連れて行く品位、まさに「レディ・ソウル」の歌声である。

 70年代後半からアリサは時代に合わせた作品を生み出していく。レーベルをアリスタに移した80年代以降、それは顕著になっていった。なかには真価を発揮できていない作品もあったが、その歌の本質は10代の頃から変わっていない。天上から降り注いでくるような歌。心に触れる歌なのに、こちらの手は届かない。そんな、至高の歌声を持つアリサが、今、天へと昇っていった。美しいソウルを我々に残して。

 誰も代わりになれないシンガーに永遠の安らぎを。

(ブルース&ソウル・レコーズ No.129[2016年]掲載原稿を加筆・修正)

ブルース&ソウル・レコーズ 第129号

 

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