今若い人に「ルーサーバーガー」(バンズをドーナツにしたもの)が話題だという。その名前の由来とされるのが、稀代のソウル/R&Bシンガー、ルーサー・ヴァンドロスだ。ルーサーバーガーにかぶりついている人が一人でも多くルーサーの作品に触れることを願ってやまない。
そのルーサーのキャリア最初期、彼が率いたグループである“ルーサー”名義の作品が初CD化となった。ソウル・ファンの間で傑作と名高かったものの長く入手困難であった『ルーサー』(1976年)と『ディス・クロース・トゥ・ユー』(1977年)の再発売を記念して、音楽ジャーナリストの林剛氏と、製作や執筆など音楽シーンで幅広く活躍している森田創氏、 “ルーサー愛”に溢れたお二人の対談をお届けしよう。
──ルーサー・ヴァンドロスが亡くなって来年で20年になります。彼を知らない音楽ファンに向けて、ルーサーを一言で表すとしたらどう表現しますか。
林:ソウル/R&Bヴォーカルの絶対的存在。日本ではあまり実感されないかもしれないけれど、アメリカのブラック・コミュニティの間だと絶対の支持があります。ヴォーカリストの最高峰です。
森田:スーパー・ヴォーカリスト、スーパー・プロデューサー、スーパー・コンポーザー。シンガー・ソングライターとしては世代によってはスティーヴィ・ワンダーやマーヴィン・ゲイにも引けをとらない人気があると思います。
林: Googleのトップページのロゴが記念日や偉人の生誕で変わるDoodlesで、2021年にルーサーの誕生日にロゴデザインがルーサーになったのが話題になりました。それぐらいすごい人です。けれど、マーヴィン・ゲイやスティーヴィ・ワンダー、カーティス・メイフィールドといった、いわゆるニュー・ソウルのアーティストのように、自分で楽器を弾きながら社会的なことも歌う人とはちがって、ルーサーはスーツを着てピシッとした格好でラブソングを歌い、いかにベルベット・ヴォイスで美しくうっとりさせるかというところを持ち味にしていた人なので、ロック評論的な視点では評価されにくかった。
森田:ナット・キング・コールやビリー・エクスタインなどクルーナーと呼ばれるシンガーの系譜にもいる人ですよね。8 0年代前半にはマーヴィン・ゲイやテディ・ペンダーグラスの再来と言われるアーティストがよくいましたが、ルーサー登場後、80年代半ば以降は「ルーサー・ヴァンドロスの再来」と言われることが増えましたね。
林:フレディ・ジャクソンとか。
森田:キース・ワシントンとか。
林:80年代以降はその歌唱スタイルを指して「ルーサー節」という表現も出てきました。80年代を代表するソウル/R&Bのアーティストにルーサーはもちろん入りますが、一般的にはマイケル・ジャクソンやプリンス、ホイットニー・ヒューストンがまず上がり、日本での人気という点ではルーサーはシャーデーよりも下かもしれません。でも本国のソウル/R&Bリスナー、特に歌にこだわる人たちの間で一番人気があるのはルーサーじゃないかなと思う。マイケルとプリンスはポップ・スターとして突き抜けているけれど、ルーサーはブラック・コミュニティで根強く支持されてきた印象がありますね。
──ルーサーの作品でポップ・フィールドにも知られた曲といえば何でしょうか。
森田: 80年代はブラック・ミュージックとして金字塔を打ち立てた時期でヒット曲が多くありますが、実はポップ・チャート上位にはほとんど入ってなくて、グラミー賞も獲っておらず、その後、1994年にマライア・キャリーとのデュエット〈エンドレス・ラヴ〉がヒットして、ポップ・フィールドで存在感を示した印象です。
林: ルーサーがポップ・フィールドに接近した最初の作品としては1986年のアルバム『ギヴ・ミー・ザ・リーズン』でしょうか。グレゴリー・ハインズとのデュエット曲〈ゼアズ・ナッシング・ベター・ザン・ラヴ〉はR&Bチャートで1位になりましたが、AORぽいバラードでしたよね。
森田:初めて聴いた時、男性同士のデュエットがとても珍しいなと思ったんですよね。男性デュオはいましたけど、男性シンガー同士がコラボしてデュエットした例は知らなかった。
林:ルーサーは自分をディーヴァやソングストレスだと思って歌っていたと思うんです。彼の歌についてよく言われるのが、サム・クックとダニー・ハサウェイの影響。セカンド・アルバムでサム・クックの〈ハヴィング・ア・パーティ〉を取り上げているし、ロバータ・フラック&ダニー・ハサウェイの1972年のデュエット・アルバムにクレジットはされていませんが参加していたとされています。そう考えて聞くとダニー・ハサウェイの影響はあると思うんですが、本人はパティ・ラベルのブルーベルズ時代のファンクラブの会長もしているほどのファンで、彼の唱法や姿勢をみると、パティ・ラベルやアレサ・フランクリン、ディオンヌ・ワーウィックのような女性シンガーのようになりたかったのではと思います。
Embed from Getty Images
パティ・ラベルとルーサー・ヴァンドロス
──ルーサーは自身でカミングアウトしていませんが、セクシュアリティの面でもそのような指摘がされてきました。
森田:女性シンガーのプロデュースがうまいのは彼自身が多様性に富む感性の持ち主であり、そのセクシュアリティによることも大きいでしょうね。ルーサーのヴォーカルに関してもセクシュアリティについて知らずに聴いていた時点で、他の男性シンガーからは全く感じられない独自の表現力を感じさせられていました。低音域でのコントロールはアレサ・フランクリンを、ジャズっぽい言葉の転がし方はディオンヌ・ワーウィックを、ライヴでも披露する短い譜割りを低音と高音でスリリングに上下させるのはパティ・ラベルを、と、先ほど林さんが挙げられたディーヴァたちを投影させた歌い方をしていますね。それらも含めて「ルーサー節」と称えられるヴォーカリストとしてのオリジナリティがすごい。80年代以降で「◯◯節」と言われるような、独特の歌唱スタイルを確立した人は殆ど存在しないのではないでしょうか。
林:今でこそルーサーの独自性を語ることができますが、80年代の日本では〈シーズ・ア・スーパー・レイディ〉や〈ネヴァー・トゥー・マッチ〉はディスコやブラコン(ブラック・コンテンポラリー)として受け入れられて、ルーサーの歌唱よりもマーカス・ミラーのベースだとか、サウンド面を評価することが多かった印象もあります。
森田:当時のラジオや特に音楽誌でルーサーが取り上げられるときは、もれなくマーカス・ミラーも紹介されていて、マーカスの方が知名度もあり目立っていた印象も。
林:ヴォーカリストとしてはなかなか評価されなかったですね。サウンドではなくてヴォーカリストとして早くから評価していたのは、鈴木啓志さんでした。
──今回初めてCDとLPで再発された“ルーサー”の2作は長らく入手困難でした。
林:鈴木啓志さん編集の『U.S.ブラック・ディスク・ガイド』で紹介され、雑誌『ブラック・ミュージック・リヴュー』のレコード店の広告にもよく出ていて気になっていたんですが、なかなか手に入らなかったんですよね。初めて聴いたのは、たしかソウル・バーででした。その後やっぱり自分でも欲しいと思って、新品に近いカット盤を買いました。アメリカのマイナー・レーベルから出た作品でもないのに、なぜこんなにレアなのか不思議でしょうがなかった。
森田:僕はソウル・マニアのマスターがやっているカレー屋さんで1993年に聞きました。我々の世代は知っているけど、20代30代の人は今回初めて“ルーサー”というグループの存在を知るかもしれないですね。ルーサーが20年前に亡くなったときの追悼記事でも“ルーサー”に触れたものはなかったと思います。
──“知る人ぞ知るアルバム”といってもいいかもしれませんね。林さんは2作のライナーノーツを担当され、アルバム制作の経緯や背景を詳細に解説されています。ソロ・デビューして成功する前にも興味深いキャリアがあったことがわかりました。
林:“ルーサー”のファースト・アルバムが生まれるきっかけになったのはデイヴィッド・ボウイの1975年のアルバム『ヤング・アメリカンズ』のセッションでした。そこでルーサーが起用され、バック・コーラスとヴォーカル・アレンジを任されたことで、キャリアが動き出していきます。ファースト・アルバムのジャケットはハード・ロックみたいというか教会に由来していると思われるデザインのロゴだけで誰も映ってないので、ソウル・ファンからは評判が良くないですが、いろいろ調べてみるとここにはストーリーがあって、スポットライトの下に誰もいないのは“私たちはバック・コーラス出身で光の当たらない存在だった”ということ。ジャケットの裏には5人のメンバーが揃っていて、今回は私たちが主役ですよっていうことだと思うんです。
森田:裏面の5人に気づくには現物を手に取ってみないとわからないですね。
林:5人のうちスカイブルーのスーツを着ている3人は高校時代の友人で、残る2人は後から加わったので衣装が異なるのだと思います。そのような証言があるわけではないのですが、さまざまな事実を繋ぎ合わせていくとその結論に至るんです。詳細はぜひライナーを読んでほしいですね。今回ライナーを執筆するにあたりいろいろ調べたところ、キャリアの初期にテレビ番組『セサミストリート』にも出演していました。動画も残されています。
森田:キャリア最初期はミュージカル『ウィズ』への楽曲提供で認められてもいますね。
林:『セサミストリート』と同じ69年には、映画『サマー・オブ・ソウル』の元になったハーレム・カルチュラル・フェスティヴァルにも出ていたそうです。
森田:地元のニューヨークでは知る人ぞ知る若手グループだったのでしょうね。
林:“ルーサー”のデビューは地元ではおそらく話題になったでしょうけど、全米的には知られていなかったと思います。当時は成功しませんでしたがその直後にクインシー・ジョーンズを筆頭にルーサーを求めるミュージシャンがたくさん現れました。
森田:1980年にはディスコ・プロジェクトのチェンジに参加し〈ザ・グロウ・オブ・ラヴ〉にフィーチャーされましたね。ルーサーの歩みを見ると“華麗なる”人脈がすごくて、それだけ実力と魅力があったのでしょう。一緒に仕事をした人がルーサーの才能と人柄を気に入り、“ルーサー”としては成功を収めなくても、のちの成功の下地になっていました。ロバータ・フラックもルーサーを高く評価し、2022年に初CD化されたロバータの1981年作『バスティン・ルース』にもルーサーは参加しています。
後編へ続きます。近日公開予定。
●2024年4月19日リリース:『ルーサー』(1976年作品)
すべての楽曲をルーサーが書き下ろし。力強くファンキーなビートと、モータウンで数多くのヒットを生んだポール・ライザーによる流麗なアレンジに乗って歌い上げるルーサー節が心地よい。ナット・アダレイJr. (キーボード)など、80年代以降のルーサー・サウンドを形成するキーマンが早くも参加している。
●2024年6月7日リリース:『ディス・クロース・トゥ・ユー』(1977年作品)
前作に続き、全曲ルーサーが書き下ろし、ポール・ライザーが編曲を担当。バックを固めているのは、ナット・アダレイJr.(キーボード)やコーネル・デュプリー(ギター)、ウィル・リー(ベース)ほか東海岸の敏腕ミュージシャンたち。シックのナイル・ロジャーズ(ギター)も参加している。フィリー・ソウル的な甘く心地よいメロディーと歌声は前作以上に高く評価されている。
【プロフィール】
ルーサー・ヴァンドロス(1951年4月20日生~2005年7月1日没)
1951年生まれ、NY・マンハッタンのロウアー・イースト・サイド出身。1972年にブロードウェイ・ミュージカル『ウィズ』で彼が作曲した曲が採用されたことからショウビズ界でのキャリアがスタート。デイヴィッド・ボウイが彼にアレンジとバック・ヴォーカルを依頼して一躍注目を集める。売れっ子ヴォーカル・アレンジャー&セッション・シンガーとしてバーブラ・ストライサンドやダイアナ・ロス、ロバータ・フラックなど多くの有名シンガーのコーラスを務めた後、Epic Recordsから1981年にソロ・シンガーとして『ネヴァー・トゥー・マッチ』でデビューする。タイトル曲の他にも、バート・バカラック作のバラード〈ハウス・イズ・ノット・ア・ホーム〉がヒットし、一躍80年代のブラック・コンテンポラリーの旗手に躍り出た。そのヴェルヴェットのようにスムーズでゴージャスな歌声と独特な歌唱スタイルは、現代の男性R&Bシンガーたちに大きな影響を与えた。また、デュエットの名手としても知られており、シェリル・リン、ディオンヌ・ワーウィック、マライア・キャリー、ジャネット・ジャクソン、ビヨンセなどと多くのヒット曲を残した。1998年にVirgin Recordsに移籍し、その後クライヴ・デイヴィス率いるJ Recordsに迎え入れられる。2003年、ラスト・アルバムとなった『ダンス・ウィズ・マイ・ファーザー』をリリースし、初登場で全米No.1を獲得するも、同時に脳卒中で倒れ闘病生活に入る。2005年7月1日、54歳で亡くなる。
これまでにグラミー賞8部門を受賞(ノミネートは31回)、アメリカン・ミュージック・アワードを8度受賞。
【リンク】
公式ウェブサイト(英語) www.luthervandross.com
ソニーミュージック公式ウェブサイト(日本語) www.sonymusic.co.jp/artist/LutherVandross/
“Luther”予約(1曲目“Funky Music”を試聴できます):luthervandross.lnk.to/luther
“This Close To You”予約:luthervandross.lnk.to/thisclosetoyou