ブルース&ソウル・レコーズ

【SPECIAL INTERVIEW】バディ・ガイ 本誌未公開インタヴュー

バディ・ガイがニュー・アルバム『ザ・ブルース・ドント・ライ』を発表した。86歳となるバディだが、年輪を重ねてそのギターは鋭さを増すばかり。ボビー・ラッシュ、メイヴィス・ステイプルズ、エルヴィス・コステロ、ジェイムズ・テイラーらゲスト陣を迎えて鬼に金棒の、まさに“嘘をつかない”ブルースの真実を伝えるアルバムとなっている。

本誌が行ったインタヴューはNo.168に掲載されているが、ここでは未掲載パートをご紹介する。両方併せてお楽しみいただきたい。

[取材・文]山﨑智之 [取材協力・写真提供]ソニーミュージックジャパンインターナショナル


―― プロデューサーのトム・ハンブリッジと事前に「こんなアルバムを作ろう」と話し合ったりしますか?

バディ・ガイ(以下BG)「トムが書いた曲を私に聴かせて、『この曲はどう?』と訊いてきたりするんだ。彼は私が求めている音楽を判っているから、一瞬で気に入る曲も多い。ピンと来ないときは何度も聴き返して、気に入ることもあるし、自分が良い仕事を出来ないと考えて、『他に何かない?』と訊くときもある。その逆に〈ザ・ワールド・ニーズ・ラヴ〉みたく、自分が書いた曲をトムに聴いてもらうこともある。そうやってアルバムの形にしていくんだ」

―― 〈ブルース・ドント・ライ〉でサニー・ボーイ・ウィリアムスンが生まれ故郷のアーカンソーに「死ぬために戻る」と言ったと歌っていますが、あなたにそう言ったのですか?

BG「サニー・ボーイが直接私に言ったわけではなく、彼が亡くなったとき新聞で読んだんだ。彼はシカゴで活動していたけど、晩年はリトル・ロックのワンルームとキッチンがあるアパートで暮らしていた。それは何故ですか?と訊かれた彼は『死ぬためだ』と答えたそうだ。自分の故郷に近い場所で死ぬんだってね。そうして彼は亡くなった。“ブルースは嘘をつかない”んだよ」

―― 御父上が1967年、御母上が1968年に亡くなって、“苦痛を忘れる”ためサンフランシスコに行ったと歌っていますが、あなたにとってサンフランシスコは特別な意味を持つ都市ですか?

BG「私にとって、どの都市も特別だよ。でももちろんサンフランシスコも好きだ。初めて行ったのは、シカゴに住んでいたときだった。シングルを2枚ぐらい出していた頃かな。それから数年して、フィルモアでショーをやったのは思い出に残っているよ。B.B.キングが初めてフィルモアでプレイしたとき『観客席に白人しかいなくて、会場を間違えたと思った』と言っていたけど、私のときもそうだった。何をプレイすればウケてくれるのか判らなくて、頭を抱えたよ。でも彼らはブルースを楽しむために集まっていたんだ。ヨソ行きの演奏をする必要はなかった」

―― あなたの初めてのフル・アルバムも『アイ・レフト・マイ・ブルース・イン・サンフランシスコ』というタイトルでしたね。

BG「チェスのスタジオで〈ザ・セイム・シング〉という曲をレコーディングしていたんだ。ウィリー・ディクスンが書いた……少なくとも彼が書いたことになっている曲だよ。彼は他の人が書いた曲でも自分が書いたことにしていたからね。そこにレナード・チェスが入ってきて、『その曲はバディには合わない。マディ・ウォーターズに歌わせよう』と言い出した。それでマディを呼び出して、私がギターを弾いたんだよ。代わりにレナードはボブ・ゲディンズという男を連れてきて、彼の書いた〈マイ・タイム・アフター・アホワイル〉を私に歌わせたんだ。彼はカリフォルニア州オークランドに住んでいたけど、サンフランシスコで起こっている音楽シーンのことを意識していた。それでこのタイトルになったんだ。彼は〈ハロー・サンフランシスコ〉という曲も書いているよ」

―― 1960年代後半のサンフランシスコはヒッピー・ムーヴメントの中心的都市でしたが、白人ヒッピーとの交流はありましたか?

BG「白人のヒッピー達と交流する機会はほとんどなかった。ツアーで町から町に移動して、とにかく忙しかったんだ」

―― 去年(2021年)から北米でライヴ活動を再開、あなたが経営する《バディ・ガイズ・レジェンズ》クラブも営業していますが、コロナ禍はもう一段落したという意識ですか?

BG「まだ日常生活ではマスクをしているよ。コロナ禍が終わったとか言われているけど、ひとつ何かが終わると、別の悪いことが起こるものだからね。私が子供の頃だってハシカが流行って、いろんなワクチンを打たれた。それから何十年も経って医学も進歩したはずだけど、病気がなくなることはない。それどころか、昔よりも大変な状況になっている気がするよ」

―― 『ザ・ブルース・ドント・ライ』にはたくさんのゲスト・アーティスト達が参加していますが、すべてリモートで録音したのですか?

BG「アルバムは3年前に作り始めて、多くのパートはコロナ禍の前に録ったものだけど、別々に録ったんだ。1960年代にはバンド全員がひとつの部屋に集まって演奏したけど、今ではそれぞれのパートをレコーディングしているよ。ギターとヴォーカルも別々に録った方がリラックス出来るし、やりやすい。ライヴでいろんなミュージシャンと共演するのは好きだけど、彼らのプレイを聴きながら、それに呼応してプレイするのも楽しいんだ。もうずいぶん前にレコーディングした曲もあるし、ライヴでやる前にもう一度練習し直さなければならないけどね」

―― 〈ホワッツ・ロング・ウィズ・ザット〉で共演しているボビー・ラッシュとは長い付き合いですか?

BG「ボビーとはシカゴで会ったんだ。私がシカゴに来たのは1957年9月25日だけど、彼はその3年前からシカゴで歌っていた。彼が同郷のルイジアナ出身、しかもけっこう近い地域だということを知ったのは、彼がミシシッピ州に引っ越してからだった。まったく知らなかったんだ。あるときボビーがパスポートを取得しようとしていると聞いた。当時、黒人はなかなかパスポートを取れなかったんだ。戸籍がなかったり、出生届が出ていなかったりしたからね。持っているのはサインと聖書だけだったんだ。それで彼にルイジアナ州ニューローズというところに行くよう教えた。古い記録が保存されていて、何とかなるかも知れなかったからね。それでボビーはパスポートを取得出来た。『感謝するよバディ、パスポートでは2歳若いことになっている』と言っていたよ(笑)。それからずっと連絡を取り合って、今回共演出来て嬉しいね。このレコーディングはもう2年ぐらい前にやったんだ。その前に彼の作品のレコーディングでも私がギターを弾いたけど、まだ出ていないようだね。早くみんなに聴いてもらいたいよ」

―― ザ・ビートルズの〈アイヴ・ガッタ・フィーリング〉をプレイしていますが、彼らと会ったことはありますか?

BG「メンバー達と直接会ったことはなかったけど、1968年頃、彼らの設立したレーベル(アップル・レコーズ)と契約しないかって話があった。その頃、私は住むところがなかったし、『家をくれたら契約する』と答えたんだ。彼らは会社のあるビルに住ませてくれると言ってきたけど、それじゃ私のものにならないだろ? それで話が終わったんだ。その後もメンバー達とは会っていないと思う」

―― マディ・ウォーターズやスリム・ハーポで知られる〈キング・ビー〉をプレイしていますね。

BG「スリム・ハーポとはバトン・ルージュで会ったんだ。私は16、7歳で、彼はずっと年上だったけど、友人として付き合ってくれたし、彼やライトニン・スリムのステージを見てさまざまなことを学んだ。そんな思い出に捧げる曲なんだ」

―― メジャーTV局PBS の『American Masters – Buddy Guy: The Blues Chase The Blues Away』は多くの人がブルースとあなたに興味を持つきっかけになりましたが、出演した感想は?

BG「あのTV番組は良かったよ。自分をフィーチュアしてもらったこともそうだけど、ブルースそのものや、さまざまなブルースメンに焦点を当ててくれたのも良かった。もっといろんな番組を作って、9歳、10歳の子供たちがブルースに触れる機会を作ってくれたら嬉しいね。彼らが聴いているロックやヒップホップのルーツにはロニー・ジョンスン、マディ・ウォーターズ、B.B.キングなどのブルースがあるということを知ってもらいたいんだ。私がブルースを聴き始めた頃、彼らは大金持ちだと思っていた。でもB.B.と話したら、ショーをやって次の町に行くための金ぐらいしか入ってこないと言っていたよ」

――〈ザ・ワールド・ニーズ・ラヴ〉を筆頭に、音数の多いギターを弾いていますが、弾きすぎだ!と誰かに言われたことはありますか?

BG「そう思っている人はいるかも知れない。でもみんな口に出さないんだ(笑)。私自身ちょっと弾き過ぎかな?と思うときもあるけど、ステージに立ったらお客さんに自分の持っているものすべてを提供するべきだと思う。観客席にふくれっ顔のお客さんがいたら、それを笑顔に変えるのが私の仕事なんだ」

―― あなたが最近日本に来てくれないので、私はふくれっ顔をしています。2023年3月にオーストラリアでツアーをやりますが、ぜひ日本にも寄って、私の表情をスマイルに変えて下さい!

BG「ああ、日本に呼んでくれたら、靴を履く暇を惜しんででも、明日にでも行くよ。日本は大好きだし、コロナの影響や経済の問題もあったのかも知れないけど、古き良き時代みたいにぜひまたプレイしたいね」

バディ・ガイ公式サイト
www.buddyguy.net/


BUDDY GUY "The Blues Don’t Lie"
バディ・ガイ/ザ・ブルース・ドント・ライ

CD(ソニーミュージック SICP-6492)
日本盤書下ろし解説・歌詞・対訳付

1.I Let My Guitar Do The Talking
2.Blues Don't Lie
3.The World Needs Love
4.We Go Back
5.Symptoms Of Love
6.Follow The Money
7.Well Enough Alone
8.What's Wrong With That
9.Gunsmoke Blues
10.House Party
11.Sweet Thing
12.Back Door Scratchin'
13.I've Got A Feeling
14.Rabbit Blood
15.Last Call
16.King Bee
[日本盤ボーナス・トラック]
17.Leave Your Troubles Outside

シカゴ・ブルース黄金時代の生き証人であるバディの新作は、彼が生きてきた86年のライフ・ストーリーを歌いながらブルースが経てきた道、ひいてはアメリカ社会の変動を描くアルバムだ。

故郷ルイジアナを後にしてシカゴに向かう〈アイ・レット・マイ・ギター・ドゥ・ザ・トーキング〉から幕を開け、〈ブルース・ドント・ライ〉ではサニー・ボーイ・ウィリアムスンやジュニア・ウェルズとの思い出を歌う。メイヴィス・ステイプルズをゲストに迎え、古い友人と昔を懐かしむ〈ウィ・ゴー・バック〉では1968年、マーティン・ルーサー・キングJr.牧師の暗殺、ジェイスン・イズベルとの共演曲〈ガンスモーク・ブルース〉では銃乱射事件が題材として取り上げられている。

かつて「B.B.キングみたく少ない音数で説得力のあるフレーズを弾けないから、たくさん弾くようにしている」と語っていたバディだが、すっかり大御所となった本作においてもリード・ギターをたっぷり聴かせてくれる。ブルース“文化”の伝承者となった今でも、彼は根本的にエンターテイナーだ。ライヴでガンガン他人のブルース・クラシックスを演奏したり自らクラブ経営に乗り出すあたりもそうだが、ギターを弾きまくるのも、そのサービス精神の表れだろう。もちろん聴く側も大満足。スリム・ハーポやマディ・ウォーターズでお馴染み〈キング・ビー〉やザ・ビートルズの〈アイヴ・ガッタ・フィーリング〉といったカヴァー選曲、ボビー・ラッシュ、メイヴィス・ステイプルズ、エルヴィス・コステロ、ジェイムズ・テイラー、ジェイスン・イズベル、ウェンディ・モートンらのゲスト参加もそう。とにかくブルースの“楽しさ”も味わわせてくれるのが『ザ・ブルース・ドント・ライ』だ。(山崎)


インタヴュー本編は『ブルース&ソウル・レコーズ』No.168で掲載しています。
詳細はコチラから


Left My Blues In San Francisco

(Chess LPS-1527) 1968

1962~67年録音曲を収録したファースト・フル・アルバム。マディ・ウォーターズがバディ・ガイと“The Same Thing”を録音したのは64年4月9日、バディが“My Time After Awhile”を録音したのは64年6月10日とされており、その間にボブ・ゲディンズと出会ったのだろう。バディは“My Time After Awhile”を弟フィルらが参加した69年11月のセッションで再録、同じくゲディンズ作の“Hello San Francisco”も録音した。それらは『Hold That Plane!』(Vanguard VSD79323 / 1972年)に収録されている。