2021.5.18

【インタヴュー・アーカイヴ】ジョニー・ウィンター(後編)

ジョニー・ウィンター
追悼:ジョニー・ウィンター 来日インタヴュー
「あのマディのアルバムを作った頃から、俺は自分がブルース・アーティストだと感じるようになった」

ジョニー・ウィンターが7月16日にこの世を去った。ヨーロッパ・ツアー中、チューリッヒのホテルで亡くなっていたという。享年70。健康上の問題を乗り越え近年はレコーディングにツアーにと好調な活動を続けていた。今年に入っても集大成的ボックス・セットをリリース、彼の人生と音楽を追った初のドキュメンタリー映画『Down & Dirty』が公開され、新作アルバムの発表も9月に控えていた最中の訃報は本当に残念というしかない。彼の冥福を祈りたい。

ここに掲載するのは、2014年4月17日、近年の活動に欠かせない存在となった相棒ギタリスト兼プロデューサー、ポール・ネルスン同席のもとに行われたジョニー・ウィンターのインタヴューである。時折笑顔を浮かべながら語る彼の姿に、この時はまだ誰も死の影を見ていなかった。

.
[取材・構成]編集部 [通訳]前むつみ
[取材協力]ソニー・ミュージック [質問作成協力]日向一輝 [撮影]井村猛

.

——震災直後で開催が不安視されるなか実現した2011年の初来日公演には多くの日本のファンが勇気付けられました。ファンを代表して感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。

ジョニー・ウィンター(以下JW)「そう言ってくれるなら来て良かった。本当に日本には長い間来れなかったからな」

——その後も順調に活動を続けていますね。来日も2012年に続き今回で3度目です。

JW「俺は日本が大好きだ。日本で演奏するのを楽しんでいるよ」

——新作『ステップ・バック〜ルーツ2』についてお聞かせください。

ポール・ネルスン(以下PN)「レコード会社が『ルーツ』の仕上がりを気に入ってくれて、あと2枚シリーズで出そうということになったんだ」

——昨年亡くなったボビー・ブランドの〈ドント・ウォント・ノー・ウーマン〉を取り上げていますね。彼のステージをご覧になったことは?

JW「ボビーの声がすごく好きなんだ。最高だ。歌に関しては彼とレイ・チャールズからとてつもなく影響を受けた。60年代に(テキサス州)ボーモントの小さなクラブで観たことがある」

——当時のブランドのバンドのギタリストを覚えていますか。

JW「はっきりとは覚えてない。彼と録音したギタリストならクラレンス・ハラマンが好きだね。彼のプレイは本当に良かった。俺も影響を受けたよ」

——他にもロイ・ゲインズがいましたが。

JW「彼のギターも良かったな」

——ボ・ディドリーの〈フー・ドゥ・ユー・ラヴ〉も取り上げていますね。

JW「昔から好きだね。彼の曲には良いのがたくさんある。ギター・プレイヤーとしても凄いけど、俺は彼の音楽自体が好きだ」

——前作で〈メイベリーン〉を取り上げたチャック・ベリーについては?

JW「彼も影響を受けたアーティストの1人だ。ラジオで良く聴いていたし、レコードを聴いて曲を覚えたよ。〈ジョニー・B・グッド〉を聴いた時は信じられなかったね」

—— 10代でバンドを組まれた時にチャック・ベリーの曲を演っていたのですか。

JW「もちろん、いつもレパートリーに入っていた。〈ジョニー・B・グッド〉は今までに100万回ぐらい弾いたんじゃないかな(笑)。“ロックンロールに別の名前を付けるならチャック・ベリーだ”ってジョン・レノンが言っていた(笑)。チャックはロックンロール・プレイヤーだし、ブルースの曲を演ることもあったけど、他のブルース・ギタリストのようには弾いてなかった。ブルースなら俺はもっと唸るようなギタリストの方がいいね」

PN「でも彼のスタイルを自分のブルースに取り入れてるよね」

JW「そうだな」

PN「若い頃はバンドでブルースを弾けなかったの?」

JW「みんな聴きたがっていたからチャック・ベリーばかり弾いていた」

—— 10代の頃、まわりの他のバンドもロックンロールを演奏していたのですか?

JW「みんなだいたい同じような曲を演奏していたよ」

PN「誰が一番良かった?」

JW「俺だ(笑)」

PN「スライド・ギターを知ったのはライヴで演るようになる2年前だったそうだね」

JW「22歳で覚えだして、ライヴで演るようになったのは24歳の時だ」

PN「イギリス人ミュージシャンの影響だったとか」

JW「その通り。ローリング・ストーンズやジョン・メイオールやヤードバーズが演りだすまで白人たちはブルースなんて興味がなかった。イギリス人たちが演るブルースとか黒人音楽にアメリカ人は出くわしたというわけだ。サニー・ボーイ・ウィリアムスンが言ってたよ、“イギリス人はブルースをとにかく弾きたがるが演奏は酷いもんだ”ってね(笑)。エリック・クラプトンのことを言っていたわけじゃないと思う。エリックの弾くブルースは本当にアメリカ風だけど、いつまで経ってもイギリス風のブルースって感じの連中が多かった」

PN「エリックはフレディ・キングから影響を受けたらしいね。あなたもフレディから影響を受けたのでは?」

JW「みんなそうさ。俺が聴いていたものを彼も聴いていたんだから」

—— 当時テキサスにいたジョーイ・ロングというギタリストを覚えていますか?

JW「もちろん、よく覚えている。俺が初めて出会ったブルースを演奏していた白人のプロ・プレイヤーが彼だった。ヒューストンに住んでいて、シングルを何枚か出していた。出会ったのはどこかのクラブだったと思う。仲の良い友達だったよ」

—— ・デイヴ・アレンというギタリストはどうですか?

JW「知っている。彼もヒューストンの人間だった」

—— 最初にシングルを出す時、あなたはテキサス・ギター・スリムという名前を使っていましたね。エルトン・アンダースンという人物が名付けたそうですが。

JW「彼が曲を書いていた。ルイジアナ出身のギタリストで2、3枚シングルを出していたと思うけど、ヒットしたのは〈シェド・ソー・メニー・ティアーズ〉だけだった。他の地域ではどうか知らないが、テキサス/ルイジアナ界隈でこの曲は物凄くヒットしたんだ」

—— クラレンス“ゲイトマウス”ブラウンの〈オキ・ドキ・ストンプ〉も取り上げていますね。

JW「俺のお気に入りのインスト曲だ。無茶苦茶好きだね」

—— 彼はルイジアナ州ヴィントン出身ですが、テキサスとルイジアナで州を跨いだ音楽的な交流はあったのですか?

JW「ヴィントンは州境にある街で、実際、彼が育ったのはテキサス側のオレンジという街だった。テキサスとルイジアナのシーンの違いは言葉にするのは難しい。ルイジアナはブルース・オリエンテッドな曲が多くて、テキサスはとにかくシンプル、という感じだろう。感覚的には違いが分かるのだけどね。テキサスとルイジアナの人たちはお互い反目している部分もある」

PN「若い頃はテキサスからルイジアナまで車で行って演奏していたんでしょ? 霊柩車で回ってたって聞いたけど(笑)」

JW「ルイジアナには良いクラブのあるエリアがあってね、ルー・アンズとビッグ・オークスが2大クラブだった。そう霊柩車だ(笑)。(アンクル・ジョン・)レッドとトミー(・シャノン)と一緒にな」

PN「後ろに機材を積むスペースもたっぷりあるし良いね(笑)」

—— ボーモントでラジオDJをしていたクラレンス・ガーロウのことは覚えていますか?

JW「ああ。彼は俺が初めて出会ったブルース・ガイだった。ボーモントのラジオ局KJETで彼は夕方の5時、6時で自分の番組をやっていた。すごいブルース・ファンで、番組ではグレイトな曲をかけていた。もちろん、自分のレコードもな(笑)。俺が楽器店で働いていた時、彼が弦を買いに来て知り合った。ラジオでいつも聞いてた声だったから、“私のことを知っているのか?”と訊かれて“もちろん!”と答えたよ。それから友達になってな。一緒にクラブで演奏することもあった」

—— ガーロウのバンドはどんな編成でしたか。ザディコは演奏していたんでしょうか。

JW「ドラムス、ベース、ギター、ピアノ、サクスフォンの5ピースだったと思う。ザディコとブルースを演っていたよ。彼のギター・スタイルはTボーン・ウォーカーに似ていたね」

—— あなたはマイケル・ブルームフィードとも親交がありましたね。

JW「マイケルとは1963年にシカゴのブルース・カフェ・ハウス、フィックル・ピックルで出会った。彼のことはポール・バターフィールドのバンドでやっていることとか何かで読んだか聞いたかして知っていたし、当時はもう有名だったよ。そのカフェ・ハウスで、マイケルがピアノを弾いて、俺は持っていたハーモニカを吹いてジャムったのさ」

PN「彼がキャリアを押し上る手助けをしてくれたんだよね」

JW「そうだ。5年後、マイケルは俺をニューヨークのフィルモア・イーストに紹介してくれた。そこで演奏するようになったのはそれからだ」

—— マイケルとはブルースの話をよくしていたのですか。

JW「ああ。彼とはすごく仲が良かったよ」

——〈マイ・ベイブ〉であなたはハーモニカを吹かれていますね。以前のインタヴューで、リトル・ウォルターの『ザ・ベスト・オブ』をフェイヴァリットに挙げていましたね」

JW「すばらしいアルバムだ。間違いなく俺のお気に入りの一枚だ」

—— ハーモニカ・プレイヤーでは他にもビッグ・ウォルター・ホートンやジェイムズ・コトンなどとも共演されていますね。

JW「どちらも凄いプレイヤーだな。昔サニー・ボーイはビッグ・ウォルターの方がリトル・ウォルターよりも実は良いプレイヤーだと思っていたようだけど、サウンドはリトル・ウォルターの方がビッグ・ウォルターよりも良かった。ビッグ・ウォルターの方が良かったかどうか俺には分からないが、彼も良いプレイヤーだったのは間違いない。彼はマディ・ウォーターズのバンドでも吹いていたけど、酒ばっかり飲んでいたんでクビになった(笑)。たしかに酔っ払った時の彼は酷いもんだった。バンドがまずやらなきゃいけなかったことは彼を素面でいさせることだったのさ。ある時、俺が“調子はどうだい、ウォルター?”と訊くと、“分からんね、ジョニー、たぶんそのうち良くなるだろうよ”って言っていた(笑)」

—— 彼からハーモニカの吹き方を教えてもらったことは?

JW「それはないな。俺はハーモニカのレッスンを受けたことがない」

—— 本誌No.89掲載のディック・シャーマン氏の寄稿のなかで、1970年頃にフロイド・ディクスンの〈コール・オペレーター201〉を聴いてあなたはブルースから離れられないと思ったと書かれています。

JW「そう、あれを聴いた時またブルースを弾こうと思った。演りたくもないロックなんてもう続けられないってね。こんなに深く特定の曲を好きになることはないのに、なぜかこの曲が心に引っ掛かって俺はブルースに戻って来た。ジョニー・ウィンター・アンドほど成功はしなかったけど自分のやりたかったことだし満足だったよ。70年代の終わりのマディとの仕事はすごく上手くいったね。あのマディのアルバムを作った頃から、俺は自分がブルース・アーティストだと感じるようになった。それ以前の俺はたぶんロックで知られていたんだろうが、自分では上手くやっているとは思っていなかった。マディのレコードはみんな気に入ってくれたし、俺も気に入ったし、もちろんマディも気に入ってくれた。すごくハッピーだったね」

—— ピックはサムピックだけを使っているのですか。

PN「チェット・アトキンスが好きで、彼の曲を弾くために最初からサムピックで習ったんだよね」

JW「そうだ。フラットピックは使ってこなかった。どうも俺には馴染まなくてね、使ってみようとも思わなかった。最初のギターの先生(ルーサー・ナリー)がサムピックを使っていたからな」

—— 最近今までと違うギターを使っているようですね。

JW「シカゴのディーン・ゼリンスキーがやっているディーンというメーカーのギターだ。彼が俺のために2、3本作ってくれたのだけど気に入らなくってね。ようやく使えたのがあのギターだ。ネックの長さが不十分で弾きにくかったので改良してくれた。気に入っているよ。でも色がいまいちだから今度は黒と紫のを作ってもらいたいな(笑)」

PN「あのギターは“ボーモント”という名前なんだよね」

JW「“ボーモント”なんて嫌だな(笑)」

PN「じゃあ、“ブルースマン”に変えたら(笑)。まだ開発中のギターだから何でも好きな名前をつければいい」

JW「俺は“グーン・ガール”(アバズレ女)・ギターってのがいい(笑)」

インタヴュー後に写真撮影をお願いすると、彼はネルスンに促されて自身が表紙の本誌を持って構えてくれた。同号に掲載されたアンプのツマミがオール10のセッティング図を見て、「この通りだ」とジョニーは笑っていた。翌日、六本木EXシアターで観た身体から絞り出すような彼のギター・プレイは今も目に焼き付いている。

(『ブルース&ソウル・レコーズ』2014年10月号 No.119掲載)

 

『ステップ・バック~ルーツ2』

(ソニー・ミュージック SICP-3809)

 

『ダウン&ダーティ』

DVD (ソニー・ミュージック SIBP-268)