2021.8.30

【インタヴュー・アーカイヴ】ウィリアム・ベル

ウィリアム・ベル
PASADENA, CA - JUNE 24: Singer William Bell performs on the Willow stage during Arroyo Seco Weekend at the Brookside Golf Course at on June 24, 2017 in Pasadena, California. (Photo by Rich Fury/Getty Images for Arroyo Seco Weekend)

スタックスの黄金期を支えたシンガー&ソングライター、ウィリアム・ベル。2015年3月28~29日、このサザン・ソウル最後の大物がビルボードライブ東京にて行った初来日公演は日本のソウル・ファンに忘れられないものとなった。2015年4月号(No.122)に掲載されたこのインタヴューは来日に先立ち電話で行われたもの。彼のアトランタの自宅に現地時間正午に掛けて欲しいということで、オフィスのデスクから真夜中の2時に電話を掛け、45分ほど話を伺った。曲にまつわるエピソードや来日の意気込みを終始楽しそうに語っていたのを覚えている。

そしてヴェテラン・ギタリストのロイ・ロバーツ率いるバンドと来日したベル。初日は白いスーツ、二日目は黒いスーツで颯爽とステージに立ち、現地採用の3管ホーンを加えた布陣で、〈ユー・ドント・ミス・ユア・ウォーター〉や〈ハッピー〉、〈プライヴェート・ナンバー〉、〈エヴリバディ・ラヴズ・ア・ウィナー〉といった代表曲から、楽曲提供したアルバート・キング〈ボーン・アンダー・ア・バッド・サイン〉、オーティス・レディング〈ハード・トゥ・ハンドル〉まで披露、インタヴューで予告していたように最高のソウル・ショウで観客を楽しませてくれた。公演前日にスタジオでリハを行ったのも、4セットで曲目を大きく変えたのも、日本のファンの期待に応えたいという彼の強い思いからだったに違いない。

インタヴューで語られている出演映画は『約束の地、メンフィス ~テイク・ミー・トゥー・ザ・リバー』の邦題で2017年6月に日本で公開され国内盤DVDも発売されている。2016年に新生スタックス・レーベルからリリースした新作『This Is Where I Live』でグラミー賞「ベスト・アメリカーナ・アルバム」を獲得、昨年は国立芸術基金から日本の人間国宝にあたるフェローの称号も授与された。今年2月にはメンフィスのビール・ストリート・ミュージック・フェスティヴァルに出演しその健在ぶりを見せてくれている。彼の熱いソウルを日本のステージで再び体感する日が来ることを祈りたい。

ウィリアム・ベル・インタヴュー

「ファンや聴く人が共感出来るものが私が求めている良い曲なんだ」

[取材・構成・文]井村猛(本誌編集) 取材協力/ビルボードライブ東京

スタックスの重要シンガー兼ソングライターであり、数多くのソウル・クラシックを生み出したウィリアム・ベルがいよいよ3月に初来日を果たす。1939年7月16日メンフィス生まれの御年75。インターネット動画で数ヶ月前のライヴ映像を観ても現役感たっぷり、全く衰えを感じさせず、来日公演への期待は高まるばかりだ。2月某日アトランタ現地時間正午、初来日の意気込みや最近の活動、名曲誕生エピソードなどを電話で伺った

―― いよいよ初来日ですね。

ウィリアム・ベル(以下WB)「日本のファンの前で歌うのが楽しみだね。日本の文化にも触れたいし、今からとても興奮している」

―― ツアー・バンドのメンバーは?

WB「ロイ・ロバーツのバンドで行く予定だ。ライヴでは彼らがバックを努めている。出来たら日本のホーン・セクションを入れて一緒にやりたいと思っている」

―― ツアーには今もよく出られているのですか。

WB「定期的にツアーはしている。最近も『Take Me To The River』という映画関連でツアーがあったよ。週末にコンサートをやることが多い。海外にもちょくちょく行ってる。ファンの多いイギリスとか、ドイツ、スイス、イタリアとヨーロッパに行くことが多いね」

―― 現地のファンの反応はいかがですか。

WB「素晴らしいね! 英語が分からなくても音楽はよく分かってくれている」

―― 『Take Me To The River』はあなたが出演されている映画ですね。

WB「ウィリー・ミッチェルの息子(ローレンス)“ブー”ミッチェルから連絡がきて映画会社のプロデューサーを紹介された。内容を聞いて気に入ったから協力することにした」

―― 映画に関連してスヌープ・ドッグと共演で“I Forgot To Be Your Lover”をセルフ・カヴァーされましたね。彼のラップが入っていて新鮮でした。

WB「あれを聞いたかい?(笑) 彼とは撮影で知り合ってすごく良い友人になり、この曲を一緒に演ることになった」

―― 2年前にはホワイトハウスでオバマ大統領を前に歌われましたね。

WB「ブッカー・T・ジョーンズがバンド・リーダーで、サム・ムーアとかエディ・フロイドとかスティーヴ・クロッパーとかが参加したスタックス・バンドのコンサートだった。大統領もファースト・レディも楽しんでしたし、すごい夜だったよ」

―― YouTubeで観たのですが、あなたの声は今もまったく衰えていないと感じました。

WB「そうさ、まだ俺のパイプは通ってるからな(笑)。ずっと歌い続けているし、喉を良い状態にキープ出来ている。健康に気をつけて歌い続けることが大事なんだ」

―― 自身のレーベル、ウィルビー(Wilbe)・レコードをやられていますね。

WB「ウィルビーは実際のところ3年ぐらい前に本格的に始めたレーベルだ。ジェフ・フロイド、ローラ、ウィザード・ジョーンズなど、プロフェッショナルで才能のあるアーティストが揃っている。新しいソウルやジャズ、ファンクをこのレーベルで創り出したいね」

―― レーベルのポリシーなどありますか。

WB「アーティストは才能があるだけでなく、ライヴでちゃんと演れて、歌詞にも気を払わないといけない。スタッフを信頼し、プロとして仕事に真面目に取り組み、良い歌を歌う。そういうことを大事にしている」

―― いま取り組んでいるプロジェクトはありますか。

WB「ウィルビーではなく、スタックスの企画で動いている。『Take Me ~』のサントラを出した後、彼らがソロ・プロジェクトを持って来て、いまニューヨークとアトランタを行ったり来たりして録音している。良い曲ばかりで興奮しているよ」

―― 曲を書くときに特に意識していることは何ですか。あなたの曲には物語があると感じます。

WB「私は人々の暮らしや人生について曲を書くことが多い。良い歌詞の構成、良いメロディが大事だと思う。ファンや聴く人が共感出来る曲が、私が求めている良い曲なんだ。ツアーで世界中を回って経験したことや、人々の希望や欲望、苛立ち、そして愛について表現している。普遍的なことだから、みんなが共感出来るのだと思う」

―― ご自身で歌う曲と他のシンガーに提供する曲と制作過程で違いはありますか。

WB「自分のための曲は自分に関係した身近な体験を歌詞にしている。他のシンガーに書くときは、それぞれの歌唱力やスタイルをまず理解して、一番合うものを作るようにしているよ」

―― 代表作にもご自身の経験が反映されているのですか。例えばスタックスでの第一弾シングル“You Don’t Miss Your Water”は?

WB「この曲はツアー中にホームシックで寂しくなって、ニューヨークのホテルの部屋で書いたものだよ。スタックスと契約して出した最初のヴォーカル曲だ。あの曲のクリーンでウォームなシンギング・スタイルは他のソウル・バラードのクラシック曲のもとになったと思う」

―― “Private Number”はどうですか。

WB「ツアーのない時はレコーディングの仕方とかを覚えたくて、よくスタジオを覗きに行っていた。ある日、たまたまジュディ・クレイの録音に出くわして。曲が足りないというので、この曲のアイデアを出すと、ジム・スチュアートが彼女の帰る明日までに仕上げてくれと。ブッカー・Tと2人で一晩で仕上げたよ。私が仮歌を入れたテープを彼らはニューヨークに持って帰って、ジュディが歌を覚えた時、誰かが私とのデュエット曲にすることを思いついたんだ」

―― 昨年の大晦日、イギリスでジュールズ・ホーランドのイヴェント出演時、この曲をジョス・ストーンとデュエットしていましたね。

WB「ああ。彼女は良いシンガーだよ」

―― “I Forgot To Be A Lover”については?

WB「年中ツアーに出ていて家に帰れない頃にこの曲を書いた。稼ぐためにはツアーに出なくちゃいけないけど、そのために家庭を蔑ろにしてしまう。何のために働いているんだろうと思う時がある。これはミュージシャン全員に今でも当て嵌まる曲だろう」

―― “Tryin’ To Love Two”は?

WB「スタックスを離れてマーキュリーから出した1枚めのシングルだった。70年代当時はディスコやスウィート・ソウルが回りで流れていてアイデアが浮かんだんだ」

―― あなたは時代に合わせてスタイルに変化を加えていますね。

WB「マーキュリーに移ってから少し変わったと思う。スタックスの頃も色々とやりたかったのだけど、基本的に自分はバラードがメインだった。他のアーティストをプロデュースしたり曲を書いたりするときはまた別だったけれど」

―― アルバート・キングに“Born Under A Bad Sign”を提供した経緯は?

WB「ジュディの時と同じで、ある日アルバートが録音している時にスタジオに居合わせた。曲が足りないというから、未完成だったこの曲を教えると、彼が明日までに仕上げて欲しいと。ブッカー・Tと私は一晩で仕上げてトラックまで作り、翌日、アルバートが吹き込んだ。あとはご存知のとおり(笑)。クリームとかがカヴァーしてクラシックになったね」

―― オーティス・レディングとは仲が良かったのですか? 彼が亡くなった時“A Tribute To A King”を出されていますが。

WB「私がスタジオで録音している時、彼とジョニー・ジェンキンスがやって来た。その時彼が“These Arms Of Mine”を歌って、スタジオに居た全員が衝撃を受けた。ツアーも一緒に出たし、合間で飲みにも行ったし、彼は本当に良い友人だったから、突然の死はショックだったよ。“A Tribute To A King”はもともと彼の妻ゼルマと子供たちのために書いた曲でリリースする気は全くなかった。彼の死を利用するのは嫌だったから。でも彼女とオーティスの弟ロジャーズの強い薦めで、シングルB面なら、とOKした。そしたらDJたちがB面ばかり掛けてしまって」

―― 歌い始めたのはいつ頃ですか。

WB「7歳から教会で歌い始め、14歳でタレント・コンテストに優勝した。その歳でバイハリ兄弟のMeteorと契約してデルリオズでシングル“Alone On A Rainy Night”を出した。当時はカレッジの学生相手に演奏していたよ。それからフィーナス・ニューボーンSr.の14人編成ビッグ・バンドに誘われて。ハンク・クロフォードやレイ・チャールズとも競演したことがある。メンフィスのフラミンゴ・ルームから私のキャリアは始まったんだ」

―― 最近のブルースやソウルのシーンについてどう思われますか。

WB「テクノロジーが進歩したしプロダクションの面で変化したことは多いけど、愛だとか仕事だとか歌のテーマはあんまり変わっていないと思う。ただ、私のようなゴスペル・ソウル・シンガーは少なくなった。若いシンガーはヒップホップ・ソウルばかりだから。少しだけど今でもブルースを演っている良いシンガーはいるね。『Take Me~』では、過去から新しい世代にブルースやソウルが受け継がれる様子が描いてある。ルーツを伝える素晴らしい映画だよ」

―― 若いミュージシャンでお気に入りはいますか。

WB「沢山いるから選ぶのは難しいね。最近だとジョス・ストーンがいい。まだ20代だと思うけど彼女の歌は素晴らしい。若いシンガーやギタリスト、キーボード・プレイヤーたちがブルースを取り入れているのは良い事だ。重要なキーだから。実は、自分の録音やコンサートでスタックス・ミュージック・アカデミーの子供たちを使っているんだ。スミソニアンのフェスにも英国ツアーにも連れて行ったし、出来るだけ彼らに良い経験をさせてやりたいと思っている。映画にも登場しているよ。14、15歳だから、ちょうど私が歌い始めた頃と同じだね(笑)。みんな才能に溢れた素晴らしい子供たちだ。最近もメンフィスでアカデミーに寄付を募るスタックスタキュラー(Staxtacular)というイヴェントで一緒だった。ブルースとソウルの未来は彼らの中にあると思う」

―― 最後に日本のファンにメッセージを。

WB「最高のバンドで最高のメンフィス・サウンドを日本で演るつもりだ。昔のヒット曲は勿論、新曲を1、2曲、それにオーティスやエディ・フロイドの曲も披露したいね。本物のソウル・ミュージックを皆さんに届けるので楽しみにして下さい」

(『ブルース&ソウル・レコーズ』2015年4月号 No.122掲載)

 

★初来日公演のレポート記事はこちら(billboard JAPANさんサイト内)

www.billboard-japan.com/d_news/detail/26980/2

 

『約束の地、メンフィス ~テイク・ミー・トゥー・ザ・リバー』

DVD(バップ VPBU-15728)

 

This Is Where I Live

CD(STAX STX-38939-02)

The Three Of Me

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