2023.2.22

【追悼】"サザン・ソウルの秘宝"、スペンサー・ウィギンズ

メンフィスのヴェテラン・シンガーで、サザン・ソウルの"秘宝"としてファンから愛されたスペンサー・ウィギンズが2月13日に、81歳で亡くなった。弟でソウル・シンガーのパーシー・ウィギンズが発表しており、死因は明らかにされていないが、近年は認知症に加え臓器不全など健康上の問題を抱え、メンフィス市内の病院に入院していた。

スペンサーは1960年代にゴールドワックス・レーベルから名作シングルの数々をリリース。そのディープで迫力のある歌いっぷりで、多くのファンを魅了してきた。2017年4月にはパーシーと共に来日も果たし、ビルボードライヴ東京で公演を行なっている。

スペンサー・ウィギンズは1942年1月8日、メンフィスに生まれる。地元のバプテスト教会のクワイアで歌う歌手として活躍していた母親の影響で、スペンサーも同じ道を進むようになり、高校在学時にはパーシーや姉のマクシン・ウィギンズとニュー・ライヴァル・ゴスペル・シンガーズを結成し活動。高校卒業後の1961年にはメンフィスのクラブ・シーンでソウルを歌うようになる。

ソウル歌手として活動するようになって数年が経った頃、ゴールドワックス・レコードを設立したレコード・プロデューサーのクイントン・クランチに声をかけられ、1965年、ゴールドワックス傘下のバンドスタンドUSAから"Lover's Crime”でシングル・デビュー。飛び切りソウルフルなブルースで圧巻の歌声を聴かせている。その後1969年にゴールドワックスが閉鎖するまで在籍し、合計8枚のシングルをリリースしている。

1969年、今度はフェイムと契約するも、リリースしたのはシングル2枚のみ。しかし、うち1枚”Double Lovin’”は1970年9月にR&Bチャートの44位を記録するヒットとなる。続いてサウンズ・オヴ・メンフィスおよびXLレーベルからシングルをリリースするもヒットとはならなかった。"Double Lovin'"はスペンサーにとって唯一チャート入りした曲として歴史に刻まれた。

1973年、住みなれた故郷メンフィスを離れマイアミに移住。バプテスト教会でクワイアを率いて活動を続けていたが、ソウル・シーンからは姿を消してしまった。しかし、日本のソウル・ファンの間ではO.V.ライトやジェイムズ・カーと並ぶ屈指のサザン・ソウル・シンガーとしてスペンサーの人気は依然高く、1977年には彼のゴールドワックスのシングル音源を世界で初めてLP盤に纏めた『Soul City U.S.A.』がヴィヴィッドサウンドよりリリースされる(ライナーノーツは鈴木啓志氏)。これによって改めてスペンサーへの評価が高まることとなった。

2003年にはゴスペルのアルバム『Key To The Kingdom』をリリースし健在ぶりをアピール。そして2009年と2011年にはイタリアのポレッタ・ソウル・フェスティバルに出演し久々にソウル・ショーを行う。その様子は動画で公開され、長い歳月を経てなお彼がソウル・シンガーとしてバリバリ現役であることを知らしめた。そんな流れの中、英ケント・レーベルからは、未発表曲も加えた形でゴールドワックス、フェイム、XLの音源がコンピレーション2枚でリリースされた。

そして2017年、日本のソウル・ファンが長年待ち続けた初来日公演が実現。ハイ・リズムでお馴染みのチャーリー(オルガン)&リロイ(ドラム)のホッジズ兄弟をバックに、弟のパーシーと共に最高のサザン・ソウル・ショーは届けてくれたスペンサー・ウィギンズ。(何度も何度もエンディングを繰り返した〝Uptight Good Woman”は今もファンの間で語り草になっている。)再来日は叶わなかったが、彼が遺した名曲の数々はこれからも聴き継がれていくに違いない。


Spencer Wiggins
The Goldwax Years
CD(Kent Soul CDKEND 262)2006

Spencer Wiggins
Feed The Flame - The Fame And XL Recordings
CD(Kent Records CDKEND 340)2010

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