シンガー、執筆家、宝石デザイナー、社会活動家など多くの顏を持つメンフィスの新進気鋭アーティスト、タリバ・サフィヤ。現在、メンフィス大学音楽ビジネス科で「アーティスト・イン・レジデンス」を務め、同大学が70年代から主宰するレコード・レーベル《ハイ・ウォーター》と共にブルースの新たな表現を追求するプロジェクトを進めている。その一環として生み出されたのがアルバム『Black Magic』だ。ハイ・ウォーター所蔵の音源をサンプリングし、トラップ・ビートと融合させてブルースを「現代の音楽」として再構築した意欲作となっている。
本誌No.177のインタヴュー記事では彼女のキャリアを中心に掲載したが、ここでは収録曲の背景や《ママズ・サンドリー》での活動など本誌未掲載パートをお届けしたい。両方併せてお楽しみください。
こちらの記事はPart.2です。Part.1はこちらからご覧ください。
[取材・文]井村猛 [取材協力・写真提供]SWEET SOUL RECORDS
―― 最後の“Delicious”は自己肯定の歌のように感じました。
TS「その通りよ。悲しいことがたくさんあると、自分はなんてひどいところにいるのだろうと感じるかもしれない。でも、少しの間ひとりで座って自分の人生を見渡してください。いま生きていることの美しさに浸り、これまで手にしたものに感謝してみてください。ほとんどの場合、大丈夫だ、自分は信じられないほど豊かで美しい人生を送ってきたのだと感じられると思います。これまでずっと忙しく動き回り、やりたいことを達成していくなかで、私にもいろいろな思いがありました。叶わなかった願いもあれば、手に入れたものもある。 だから、自分の人生は幸運に恵まれたとても豊かなものだと思える。これは私にとって本当に重要なこと。ちょっと深呼吸をして、『生きる機会があることに感謝しよう、これは素晴らしいことだ』と考える時間はとても貴重なんです」
―― この曲のミュージック・ビデオであなたがずっと手鏡を見つめている姿が印象的でした。
TS「この曲のテーマである、平凡で普通な物事の中にある美しさを映像で捉えようとしました。あの姿は自己賛美の瞬間を表現したものです」
―― あなたの書く曲は物語性がありとても詩的に感じます。そこには古典文学の影響があるそうですが。
TS「ワシントンDCで曲を書いて歌うようになった頃、学校で読んだことのあるものの再読も含めてたくさんの本を読みました。アリス・ウォーカーやオクタヴィア・E・バトラー、トニ・モリスン、ラルフ・エリスンらの作品や(ジョン・スタインベックの)『怒りの葡萄』とか(F・スコット・ジェラルドの)『グレート・ギャッツビー』とか。私が好きなソングライターのスタイルには、そういった本が大きな影響を与えていましたから、私も古典文学の知識を深めたいと思ったんです。本から新しい言葉を学び、その新しい言葉をインスピレーションにして自分で曲を書いてみよう、と。ハワード大学を中退した後、レストランで働きながらクラブや路上で歌い、そうやって曲を書くことに多くの時間を費やしました」
—— あなたはメンフィスのソウル専門ラジオ局WRBOのDJだった父親の影響で小さい頃からソウル・ミュージックを聴いて育ったそうですね。特に好きだったアーティストは?
TS「ソウルなら何でも好きだけど、特にアル・グリーンとアイザック・ヘイズの大ファンでした。アイザックは父と同じラジオ局でDJをしていて(註:『Hot Buttered Love Songs』という番組を持っていた)、子供の頃に会ったのを覚えています。ある年、私がストレートAの成績表を彼に見せたら「いい成績を取り続けなよ」って小遣いをくれたのよ。そんなこともあって、彼は私のお気に入りリストの上位です(笑)」
—— 子供の頃、教会でゴスペルを歌うことはありましたか。
TS「母が折衷的な宗教観の持ち主だったので、私は“教会育ち”ではありませんでした。でも、コロニアル中学で学校のクワイアに入ってゴスペルをたくさん歌っていました。教会育ちの友人たちが歌うのを見て、子供なのに経験豊富な女性のようで驚きましたね。当時のクワイアの仲間たち、指導したパメラ・ウィリアムズ先生から多くのことを学びました。
その後進んだオーヴァートン高校では演劇のクラスを取り、そこで夫(バートマン・ウィリアムズJr.)と初めて出会いました。彼は私の二つ年上で、当時は1年に1度顔を合わせるぐらいでしたけど」
—— ワシントンDCのハワード大学演劇科に入学しながら中退された理由は?
TS「芸術のために大学に入ったのに、結局、芸術の分野でキャリアを築いていかない人たちが多いことに気付いたからです。それに、演劇科では同じことを何度も何度も繰り返します。物事を変えたり、違うやり方を試したり出来ることのほうが私には大切。音楽でもそう。ステージに上がるたびにフィーリングは毎回違う。何事においても自律性が私にとって本当に大きな意味を持っているのです。大学を去ると決めたことは今でも良かったと思っています」
—— その後、あなたはニューヨークに移住されたそうですね。
TS「ある日の真夜中、バッグひとつと音楽プレイヤーだけを持って、何も計画を立てずにニューヨークのブルックリンに向かいました。着いたその日に、48番通りと7番通りにある有名なヒップホップのスタジオ、クアッド・スタジオを見に行きましたよ(笑)。ニューヨークでは主に三つのことをしていました。シンガーとして歌い、レストランで働き、自分がデザインするジュエリー・ブランド《プリティ・ブルズ》を起ち上げてオンラインで販売していました。音楽活動に集中したくてここ2年ほど《プリティ・ブルズ》は休止していますが。メンフィスに戻ってきたのは2017年です」
―― あなたが夫と母親のママ・サディオ、友人のニキ・ボイドとともに設立した団体『ママズ・サンドリー』はどういった活動をされているのですか。
TS「2020年頃、私と夫は庭でレタスやキュウリ、カボチャといった野菜を育てるようになりました。パンデミックで誰もが不安になっていた頃で、食べ物についてもっと自立したほうがいいと思って。その後、近所の人たちとシェアしたり一緒に栽培したりするようになり、他の地域にも活動を広げていきました。それがママズ・サンドリーの始まりでした。近所の人たちを大人も子供も招待して家族とのひとときを楽しむイベントを企画したり、プラスティック袋を減らすため食料品店に自分のバッグを持っていく〈Bring Your Own Damn Bag〉運動をしたり、ハーブを買って自宅でお茶を淹れようというキャンペーンもやりました。ティー・キットも自分たちで制作して、ブレンドの仕方を教える教室も開いています。私はシンガーで、夫はテレビドラマにも出演しているミシシッピを拠点とする俳優。自分たちのアーティストとしての影響力を利用して、自家栽培や持続可能な社会を目指す考え、DIYなどを広め、人々の健康習慣やライフスタイルに影響を与えようと決心したんです」
―― いまライヴはどのくらいの頻度で、どこでやっているのですか。
TS「そんなに多くはなく、メンフィスで一カ月に一度ぐらい。でも来週はSXSWでオースティンに行く予定です。夏にはニューヨークに二度行きますし、ニューオーリンズやミシシッピなど地方の小都市をまわるツアーも予定しています」
―― 最後に日本の音楽ファンにメッセージをお願いします。
TS「遥か遠くにいる日本の皆さんが私のようなメンフィスの女の子の歌を聴いてくれていると知って喜びで胸がいっぱいです。この音楽が私をどこに連れて行ってくれるのかをこれからも皆さんと共有出来ることを楽しみにしています。いつか近いうちに日本に行きたいと思っていますから、どうか期待していてください。たとえ一度も会ったことがなくても、音楽が私たちを家族にしてくれることに感謝しています」
『ブルース&ソウル・レコーズ』No.177
インタヴュー本編はこちらで掲載しています
TALIBAH SAFIYA
Black Magic
(SWEET SOUL RECORDS)
※デジタル・リリース
1.Sunshine (Intro)
2.Black Magic
3.Papa Please feat. Madame Fraankie
4.Jack and Jill feat. Deener and Yella P
5.Have Mercy feat. Deener and Marcella Simien
6.Have Some Mo’ (Interlude)
7.Delicious