2018.6.13

【特集:伝えておきたいブルースのこと】⑧初のギター・ヒーロー登場

ブラインド・レモンとブラインド・ブレイク
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ブラインド・ブレイク

 二人のブルース・ギターの達人、ブラインド・レモン・ジェファスンとブラインド・ブレイク。ともにレコード上における、男性ブルース・ギタリストの草分け的存在となる。両者ともに歴史的に大きな役割を果たしたが、そのミュージシャン体質は異なっていたようだ。

 ブラインド・ブレイクの生年は1896年、出身はヴァージニア州ニューポート・ニューズ。レコーディング以前の活動は何も記録に残っていないが、録音された曲にはミンストレル・ソングもあるので、ミンストレル一座やメディシン・ショーで演奏していた可能性は高い。また女性シンガーの伴奏、ジャズ・ミュージシャンやピアニストとの共演も残されており、ショウビジネスに生きるプロの演奏家としての顔が見える。

 ブラインド・レモンは1893年にテキサス州ウォーサム近郊で生まれた。ギターを始めたのは14才からで、間もなくして路上演奏で稼ぐようになったという。20才の頃にダラスへと出て演奏活動をする傍ら、盲人による見せ物としてのレスリングにも挑んだがすぐにやめてしまった。おそらくこの頃にレッド・ベリーと出会い、互いに腕を磨き、1917年頃にはギターでブギ・ウギのリズムを奏でていたという。レモンはメディシン・ショーなどには参加せずに主に路上や安酒場を活動の場としており、歌詞からも南部の労働者たちの生活が透けて見える。

 ブレイクの歌詞は、貧しい黒人のステレオタイプ、もっと言えばジム・クロウ的な人物が登場することもあるが、それはエンタテインメントに徹しているからと見ることができる。正確無比なギターの腕前は、ビッグ・ビル・ブルーンジー、ブラインド・ボーイ・フラーらに大きな影響を与えたが、誰もブレイクの域に達することはできなかった。ほとんど他人の演奏を褒めないフィンガーピッキング・ギターの達人、ゲイリー・デイヴィス師がブレイクには賛辞の言葉を残している。一方、レモンの演奏は歌と連動した自由闊達なテンポでダイナミック。まさに自身の歌のためにあるギター伴奏だ。同じテキサス出身で交流もあったライトニン・ホプキンスはレモンの奏法を思わせる演奏を残した。

 レモンは1929年の冬にシカゴの路上で亡くなった。享年36。死因は心臓発作と伝えられているが、殺されたという話もある。ブレイクの死は長年不明だったが、1934年12月1日、肺結核によって亡くなったことが2012年にアンジェラ・マック女史らによる調査で判明した。享年38。偉大な足跡を残したギタリストはいずれも40年と生きずに世を去った。

 1925年から29年までに100曲近くを残したブラインド・レモン・ジェファスン。方や1926年から32年までに他のシンガーの伴奏を含めると130曲近くの録音があるブラインド・ブレイク。同時代や後年のミュージシャンたちへの影響力も大きかった両者の登場によって、ブルースとギターの可能性は大いに広がったといっていいだろう。


ブラインド・レモン・ジェファスン
ブラインド・ブレイクとブラインド・レモン・ジェファスン。いずれもパラマウント・レコードによる宣伝用ポートレイトで、彼らの現存する唯一の写真である
「戦前ブルース音源研究所」(http://pan-records.com/)の菊地明氏は、ブレイクの写真から彼の身長や使用ギターを解き明かした

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