レコードの普及、ラジオの登場によって、ブルースにおける地域性はかつてほど明確ではなくなった。とはいえ、地域特有の空気を吸い込んだ作品は50年代に入っても生まれていた。
ルイジアナ州の港町ニューオーリンズは独自の文化を持ち、音楽も特有のものだ。独立区といった感じすらある。同じルイジアナの他地域のブルースも独特な味があり、同地の湿地帯にかけて「スワンプ・ブルース」と呼ばれ、愛されている。
ルイジアナのスワンプ・ブルースを世に放った重要なレコーディング・スタジオがある。1946年、サウス・ルイジアナの街クロウリーにJ・D・〝ジェイ〟ミラーが建てたものだ。自ら機材を入手し作り出したスタジオで、独特のエコー・サウンドがジェイ・ミラー・スタジオの特徴だった。ルイジアナ・ブルースを代表するライトニン・スリム、スリム・ハーポ、レイジー・レスター、ロンサム・サンダウンの他、ロックンロール、スワンプ・ポップ、ケイジャンなど大量の録音が主に50年代後半から60年代後半にかけて行なわれた。州都バトン・ルージュの知る人ぞ知るブルースマンも数多く録音されている。それらはミラー自身のレーベルからリリースされた作品もあるが、ナッシュヴィルのエクセロ・レコードへと送られ、発売された。さらに未発表のテープが大量に残され、LP時代から現在まで復刻が続いている。
ミラーが録音したルイジアナ・ブルースマンの中で最も売れたのが、スリム・ハーポだ。鼻にかかった歌声は飄々としている。それが個性となった。〈レイニン・イン・マイ・ハート〉のようにスワンプ・ポップ・バラードに通じる哀愁ある曲で泣かし、ファンキーな〈ベイビー・スクラッチ・マイ・バック〉やブギの〈シェイク・ユア・ヒップス〉で踊らせる。多彩でキャッチーな楽曲で人気を得た。
マディ・ウォーターズとライトニン・ホプキンスをアイドルとしたライトニン・スリムは、ザラリとした歌声と派手ではないが芯の通ったギターで、ヘヴィなブルースを得意とした。その名の通り気怠い心地よさを持ったレイジー・レスターは、もっともルイジアナ・ブルースマンらしいといえる。レスターが影響を受けているジミー・リードのスタイルは、ルイジアナ・ブルースマンの間でも浸透度が高いからだ。なかでもジミー・アンダースンは模倣っぷりが徹底している。淡々とした歌い口にブルーな感情を漂わせるロンサム・サンダウンも得難い個性だ。
ジェイ・ミラーが制作したルイジアナのブルースには、緊張感あるブルースやエキサイティングなジャンプ・ナンバーもあるが、全体に自然体で飾らない雰囲気に包まれている。録音にあたってミラーはミュージシャンたちが「決して気を抜きすぎないように、そして絶対に緊張しないように心がけた」と語っている。その絶妙なさじ加減が、ルイジアナ・ブルースの心地よさを生んだのかもしれない。