2020年に上演され話題を呼んだ草彅剛の主演舞台『アルトゥロ・ウイの興隆』が11月14日よりKAAT神奈川芸術劇場を皮切りにロームシアター京都、豊洲PITで再演される。
オリジナルはドイツの劇作家ベルトルト・ブレヒトが1941年に発表した作品。シカゴで暗躍するギャングのボス、アルトゥロ・ウイが市長への強請りなどあらゆる手段を講じてのしあがり、ついには隣の市にまで勢力を伸ばすまでを描いている。そこに重ね合わされているのはヒトラーが独裁者として上り詰め、オーストリアを併合するに至る姿。ヒトラーをギャングのボスに置き換え戯画化し風刺したのが本作となる。
白井晃が演出した今回の『アルトゥロ・ウイの興隆』は日本が誇るファンク・バンド、オーサカ=モノレールの生演奏を舞台に取り入れた音楽劇となっているのが最大の特徴だ。しかも演奏されるのはジェイムズ・ブラウンを中心としたファンク・ナンバーばかり。もちろん、劇中の字幕が念を押すようにジェイムズ・ブラウンとヒトラーの間には何の関係もない。ウイ=ヒトラーというカリスマに引っ張られ抗いがたい高揚感の中で民衆がファシズム世界を作り上げていく物語において、その高揚感をブーストし視覚化する装置としてファンク・ミュージックが用いられているのだろう。(ワンマンなカリスマ・リーダーという点ではJBとの共通点を感じられなくもないのだが。)
舞台中央に組まれた移動式ステージにオーサカ=モノレールが終始スタンバイし、時には前面でライヴ・ステージのように演奏、時には後方でシーンを彩る劇伴を聞かせる。また、リーダーの中田亮がウイの手下の歌手グリーンウールとして舞台のMC的な役回りを務めており、冒頭シーンで彼の口上からウイが派手に登場し“Sex Machin”を歌うさまはJBバンドの名物MCダニー・レイが思い浮かぶ。ライヴ・パフォーマンスはこれぞオーサカ=モノレール!というものだが、普段のライヴに馴れ親しんだファンにとって舞台演劇に組み込まれた彼らは新鮮に映るに違いない。何と言っても草彅剛が中田とステップを踏み、オーサカ=モノレールをバックに“Get Up Offa That Thing”や“I Got The Feeling”、”There Was A Time”を歌うインパクトは相当なものだ。
ギャングの物語とファンク~ソウルの取り合わせ、とくればブラック・ミュージック好きは70年代のブラックスプロイテーションを想起せずにはいられまい。実際、ウイのテーマ・ソング的位置づけの“The Boss”、そして“Dirty Harry”はジェイムズ・ブラウンとフレッド・ウェズリーが音楽を担当したギャング映画『Black Caesar』(1973年)からのもの。他にも同映画の続編『Hell Up In Harlem』(1973年)のテーマ曲としてJBが用意した“The Payback”、カーティス・メイフィールド『Superfly』収録曲にインスパイアされたオーサカ=モノレールのオリジナル“Just Being Free”などがブラックスプロイテーションの雰囲気を舞台に漂わせる。女性ダンサー3人が妖艶に踊り狂い、演奏シーン以外は舞台の端でオブジェのように佇む様子もブラックスプロイテーションのワンシーンのようだ。ミュージカルのように歌がセリフを兼ねるのではなく原曲の歌詞そのままなのだが、ストーリーと登場人物の役回りに合った曲がうまく充てられているのがおもしろい。“Super Bad”などまさに「イケてるワル」なウイにぴったりだし、重要なシーンで中田が歌う“It’s A Man’s Man’s Man’s World”にもしっかりと意味付けがなされている。こんな絶妙な選曲が出来るのも原曲を熟知したオーサカ=モノレールだからこそと言えよう。
クライマックスで“Soul Power”を熱唱しコール&レスポンスで民衆=観客を煽るウイ。さながらライヴ・コンサートのような興奮が会場を包み込む。だが、グリーンウールの締めのMCが80年前のドイツと現在の日本を結ぶと、高揚感の中に疚しさが疼き出す。エンタテイメント性を推し出しながらもブレヒト演劇の風刺はしっかりと生きているのだ。
草彅をはじめ俳優陣の突き抜けた演技とオーサカ=モノレールの迫力の演奏が混然一体となって凄まじい熱量で迫る『アルトゥロ・ウイの興隆』。劇場で是非体験して欲しい。
文:井村猛、撮影:田中亜紀