2021.4.27

【インタヴュー・アーカイヴ】ジョニー・ウィンター(前編)

ジョニー・ウィンター

「やった! ついに! ジョニー・ウィンター来日決定! 東京公演3日間! 見逃すな!」 —— 1990年の突然の来日公演中止から21年、もう実現不可能かと思われていたジョニー・ウィンター初来日決定の一報を本誌はNo.98(2011年2月発売号)《TOP NEWS!》で興奮気味に伝えていた。そこにあの未曽有の東日本大震災。開催を危ぶむ声があるなか、それでも、ジョニーは日本のファンのもとにやって来た。4月13~15日、Zepp Tokyoでブルースとロックンロールをただひたすらまっすぐに放つ彼の姿に、暗い空気に包まれていた私たちがどれほど元気づけられたことだろうか。初来日公演をとらえたDVD『奇跡のジャパン・ライヴ! 2011』(Pヴァイン)を観るたび、あの時の感動が蘇ってくる。

来日中の取材は叶わなかったものの、その半年後、新作アルバム『ルーツ』の発売時に行われたインタヴューが2011年12月号 No.102に掲載された。そして2012年5月に続き3度目となる2014年4月の来日公演時に再び彼を取材する機会に恵まれた。時折笑顔を見せながら私たちの質問に答え、「また日本に来たい」と言っていたジョニー。しかし同年7月16日、彼は天国へと旅立ってしまう。この二度目のインタヴューは、はからずも彼への追悼というかたちで掲載されることとなった。

今回は2011年12月号 No.102掲載を前編として、2014年10月号 No.119掲載を後編として公開するのでお楽しみいただけたらと思う。

 

「愛してるんだよ、ブルースを」
生涯ブルースマン宣言! しびれる言葉がビシビシ登場!
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[取材・構成]編集部 [取材協力]ソニー・ミュージック 
撮影]打田浩一(ライヴ写真)

 

待たされたかいがあった。4月の初来日公演もそうだったが、実に7年ぶりの新作アルバム『ルーツ』も、「これぞジョニー・ウィンター」といえる、ホンモノのブルースとロックンロールが詰まっていた。一時の不調を越え、いま再びブルースに魂を灯し続ける炎となったジョニーの“アニキ”(本誌周辺ではすっかりアニキ・キャラに設定されています)にインタヴューができることになり、さっそく新作のこととちょっとマニアックなブルースのことなどを聞いてみた。まずは納得の人選によるゲストを招き、自身のルーツとなるブルース・スタンダードを取り上げた最新作『ルーツ』の話からだ。

—— 久しぶりのアルバムです。本作はいつごろから企画されていたのですか。

ジョニー・ウィンター(以下JW)「そう、7年もレコードを出してなかったんだよなぁ。もっと早く1枚出しとくべきだった。録音したのは2011年の3月。ギタリスト兼プロデューサーのポール・ネルスンが3年ぐらい前に俺のところに持って来た企画だった。凄くいいアイデアだって思ったね」

—— 本作でもバックを務め、現在のあなたのバンド・メンバーである、ポール・ネルスン、スコット・スプレイ、ヴィト・リウッツィとは、いつ頃から活動をともにしているのでしょうか。

JW「俺とこのバンドの付き合いは6年になる。『ルーツ』ではポール・ネルスンがプロデューサーとして素晴らしい働きをしてくれた。ギタリストとしても大活躍、超一流だよ、彼は」

—— ゲスト参加したミュージシャンは皆、ブルースやロックンロールを自身の音楽のルーツとしています。絶妙な人選です。

JW「今回のアルバムにゲストを呼ぶっていうのも、もとからあったアイデアのひとつだ。レコーディング段階に入るとすぐ、彼らに連絡して一緒に演ろうって誘った。ウォーレン・ヘインズ、ジミー・ヴィヴィノ、ジョン・メデスキーはスタジオに来てくれた。その他のゲストには音を送った。ポールが素晴らしい仕事をしてくれたおかげで、そんなトリッキーな作業もすべて上手くいったんだ。まるで全員がスタジオに集まって録ったみたいだろ?」

—— まったく違和感がありません。あなたはこれまでも、多くのブルースとロックンロールを取り上げてきましたが、本作では、とりわけ有名な曲を取り上げていますね。

JW「お気に入りの曲の中からいくつか選んだ。音楽を始めた頃に影響を受けて、今でも好きな曲ばかりだ。ゲストが、そして俺自身が、クラシックでトラディショナルなブルース・ソングを愛情込めて演奏する。このアルバムのコンセプトはまさにそれなんだ」

—— あなたのブルース人生を作り出したともいえるこれらの曲を最初に聴いた時のことを覚えていますか。

JW「初めて聞いたのがいつだったかは正確に覚えていない。まあ、若かったのは確かだ。〈ファーザー・オン・アップ・ザ・ロード〉は最初に練習した曲のひとつだったよ。初めて聴いたブルースのほとんどが、テキサスのKJETというラジオ局から流れていたものだった。定番の〈メイベリーン〉は俺がチャック・ベリーに夢中になるきっかけとなった曲だ。歌で影響を受けたのはボビー“ブルー”ブランドとレイ・チャールズ。〈ダスト・マイ・ブルーム〉や〈ダン・サムバディ・ロング〉みたいな曲からはスライド・プレイで影響を受けたよ」

―― その2曲はエルモア・ジェイムズの代表曲ですね。本作には、サニー・ランドレス、ウォーレン・ヘインズ、デレク・トラックスと、個性的なスライド・ギタリストが3人参加し、あなた自身も長年スライド・ギターを弾いてきました。

JW「デルタのブルースマンはみんなスライドを弾いてたろ? だから俺もマスターしないわけにはいかない。ミシシッピ・デルタで生まれたスライド・ギターを加えなきゃ、俺のブルースは完成しないからな。知らない日もいるだろうが、俺はブルース・ハープも吹くんだぜ。バランスの取れたブルース・ミュージシャンになろうと思ったら、とにかく何でも学ばなくちゃならないんだ」

—— スライドと言えば、あなたはかつて、スティール・ギターを弾くヒューストンのブルースマン、ホップ・ウィルスンの〈ザット・ウッドント・サティスファイ〉を吹き込んでいますね。

JW「ホップはいいねぇ、大好きだ。ライヴは一度も観たことがない。本当にグレイトだ」

—— 本作ではマディ・ウォーターズの〈ガット・マイ・モージョ・ワーキング〉を取り上げていますが、ブルースにはたびたび“フードゥ”が登場します。あなたはJ.B.ルノアーの〈モージョ・ブギ〉も取り上げていましたが、フードゥに強い関心があるのでしょうか。

JW「いいや、まったく興味がないね。全然信じてもいない。ブルース・ソングのいいネタにはなってるけど、俺自身は信じてないよ」

—— あらら……そうでしたか。あなたの作品やライヴ演奏を通して、ブルースやロックンロールに出会う人も多いと思います。あなた自身は、ブルースを広める役割を果たしていることに自覚的でしょうか。

JW「もちろん、そうありたいと思っているし、実際、自分自身そうしようと努力していることでもある。そういったコメントをよく耳にするけど、随分と良く言ってくれるなぁと思いながら、本当に感謝しているよ。自分にそんな影響力があるってことを嬉しく思ってる」

—— (アニキ、謙遜しすぎですよ)それでは、ボブ・ディランが衛星ラジオでDJをやったように、あなたの豊富なブルースの知識を、アルバムやライヴとは別のかたちで伝え残すことは考えていませんか。あなたがブルースを紹介するラジオ番組なら、多くのファンが聴きたいと思いますが。

JW「レコードを作ってライヴで演奏するだけで満足してもらいたいね。ギター・レッスンなんてやるつもりはない(笑)。俺が知ってるブルースを伝える方法は、ただそれだけさ」

—— 失礼しました。あなたの友人、ディック・シャーマン氏によれば、あなたは筋金入りのブルース・レコードのコレクターとのことですが、今もレコードを集めているのでしょうか。またiPodにブルースを詰め込んでいるそうですが、とくによく聴くブルースマンは誰ですか。

JW「新しいもので買いたいと思うのは全然ないな。古いレコードばかり集めてきた。持ってない盤を見つけたらこれからも買うと思う。一番よく聴くのはマディ・ウォーターズとロバート・ジョンスンだね」

 

—— いったい何があなたをブルースへと駆り立てるでしょうか。

JW「愛しているんだよ、ブルースを。ブルースは感じたままを表現してくれる。死ぬまで俺はブルースマンだ」

—— (出た! アニキの金言!)4月に行われた初来日公演は大成功でしたね。日本のファンの前で演奏していかがでしたか。

JW「本当に楽しかったよ。行くまではどうなるかって思っていた。でも、何もかもが想像以上だった。日本人も日本の文化も好きになったね。おとなしいって聞いていたけど、観客の反応も良かったし。ただ、大惨事が起こっている時に自分がきているんだってことは心に留めていた。あの津波から3週間しか経っていなかったからな。大惨事以降に来日した最初のアーティストのひとりだったんじゃないかな、俺は。日本に来る限りは、バンドと一緒にただ音楽をやるだけじゃなく、何か助けにならなくちゃいけないと思っていた。俺が今まで行ったなかでも、日本はもっとも素晴らしい場所のひとつだね。大きな仏像は感動的だった」

(『ブルース&ソウル・レコーズ』2011年12月号 No.102掲載)

 

『ルーツ』

(ソニー・ミュージック SICP 3259)

 

『奇跡のジャパン・ライヴ! 2011』

DVD(Pヴァイン PVDV-75)

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