ブルース&ソウル・レコーズ

【特集:伝えておきたいブルースのこと】②ジム・クロウ・ブルース

1835~40年頃に描かれたジム・クロウの図 Library of Congress

ジム・クロウにはうんざりだ
こんなジム・クロウの街とはおさらば
くそったれな気分だぜ
俺は素晴らしい街、シカゴへ行く
ああ、こんな古くさい
ジム・クロウの街とはおさらばさ
カウ・カウ・ダヴェンポート〈ジム・クロウ・ブルース〉1927年

ここで登場する「ジム・クロウ(Jim Crow)」とは、奴隷解放後に続々と成立した人種差別法の総称で、ジム・クロウ法と言われるものだ。そもそもはジム・クロウと名の付く、身体の不自由な黒人のことを歌った曲があった。白人が顔を黒く塗り歌や踊りを披露する演芸、いわゆる「ミンストレル・ショー」での演目としても知られていた。その動きの滑稽さを笑いものにしたのである。そこからジム・クロウは黒人の蔑称にもなった。

1865年に奴隷解放宣言がなされる。黒人奴隷に自由が与えられ、彼らの人権も守られてひと安心、とはならなかった。人種差別法の制定だけでなく、この時代には私刑(リンチ)も増加した。1867年には暴力的な人種差別で悪名高い秘密結社KKK(クー・クラックス・クラン)が結成されている。ビリー・ホリデイが歌った〈奇妙な果実(Strange Fruit)〉はリンチで殺された黒人が木に吊るされる様を歌ったものだ。この19世紀の終りの時期にブルースは形作られていったと考えられている。

こうまでして黒人たちを締めつけるのは、黒人を劣等人種とみる差別感情だけが理由ではない。黒人たちは南部の経済システムの中で重要な労働力として考えられていた。「シェアクロッパー」、すなわち物納小作人として、主に綿花畑での労働を強いられる者も多く、ミシシッピにいた頃の若きマディ・ウォーターズも農作業に追われる生活を送っていた。

黒人たちを労働力として確保するために生まれたジム・クロウ法に、浮浪罪(Vagrancy Law, VAG)がある。

新聞を手に求人広告を探してた
そう、新聞で求人を探してたのさ
そしたら警官がやってきて浮浪罪で逮捕さ

主にテキサスを拠点に活躍したブルースマン、ランブリン・トーマスの〈ノー・ジョブ・ブルース〉(1928年)の一節だ。この後、刑務所へと送られ、労役となる。ブッカ・ホワイトが歌にしたパーチマン・ファームもまた黒人たちが労働力として送り込まれた刑務所だ。

アメリカ資本主義社会の最下層に閉じ込めようとする力もまた、ブルースを生む大きな要因だった。


Alan Lomax / Library of Congress
労役に就く黒人の囚人。1934年にサウス・キャロライナで撮影

特集:伝えておきたいブルースのこと50
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