「ブルースの父」と呼ばれるほど評価を得ているW・C・ハンディ(ウィリアム・クリストファー・ハンディ)だが、彼自身のバンドの演奏を聴いたことがある人はどのくらいいるのだろうか。
1903年、ミシシッピ州タトワイラーの駅でハンディは年老いた黒人がギターを膝の上に乗せ、弦の上にナイフを滑らせながら歌っていたのを記憶している。
交差するところへ行くよ
ブルースに「スレイヴ(奴隷)」という言葉が出てくるとドキリとしてしまう。数十年前まで実際に奴隷だった人々を祖先に持つアメリカ黒人が、恋人との関係を奴隷のようと表現することに驚く。と同時に彼らのしたたかさも感じる。恋人との関係と思わせておいて、裏の意味は……と深読みもしたくなる。
ブルースが南部の農村地帯で徐々に形作られていった時期で、ブルースと思われる音楽が記録されたものとしては最初期のものだ。すでにプロの演奏家として各地を回っていたハンディはこの印象的な旋律を自身の作品に反映させた。1912年に出版した〈ザ・メンフィス・ブルース〉が大きな成功を得て、1914年には多くのジャズ・バンドやシンガーが歌った〈セント・ルイス・ブルース〉を出版、彼の名と「ブルース」はたちまち広まっていく。ハンディはブルースを譜面の形で本格的に広めた人物として、「ブルースの父」となった。彼の曲はミンストレル・ショーやメディシン・ショーでも演奏され、後には多くのバンドやシンガーがレコーディングしている。それらを通じて、農村地帯のミュージシャンたちにも彼の曲は知られていく。
ブルース第一世代となるサム・コリンズは、ハンディの楽曲〈イエロー・ドッグ・ブルース〉と〈ヘジテイション・ブルース〉を1927年に吹込んでいる。前者はハンディがタトワイラーで耳にしたものを想起させる、スライド・ギターでの演奏だ。
ハンディが旅先で耳にした老人の「ブルース」を元にした曲が譜面(シート・ミュージック)として広まり、それが各地のミュージシャンの間に根付いていく。こうした音楽の循環が南部で行なわれていた。カントリー・ブルースと呼ばれる、田舎のミュージシャンたちによるブルースがより純粋だ、と考える人がいるが、彼らの演目の中には職業作曲家によるものも含まれていた。そのことは、ブルースが生まれ発展していった時期、1890年代から1910年代にかけての黒人たちを取り巻く音楽環境を理解する上でも、覚えておいた方がいいだろう。
Louis Armstrong Plays W. C. Handy(Columbia CL 591) [1954]
「私の作曲したブルースがこのように演奏されるなんて思ってもみなかった。本当に素晴らしい!」とW.C.ハンディが感激した、ルイ・アームストロングによるハンディ作品集
2014年筆者撮影
アラバマ州フローレンスにあるW.C.ハンディ博物館には、彼が生まれ住んだ家を移設して展示してある。