カウント・ベイシー楽団などで活躍したシンガー、ジミー・ラッシングの1961年発表のアルバムに『ザ・スミス・ガールズ』がある(Columbia CL 1605)。スミスのお嬢さんたちとは、ベッシー・スミス、メイミー・スミス、クララ・スミス、トリクシー・スミスのこと。1920年代から30年代にかけてレコーディングを残した女性ブルース・シンガーたちだ。姉妹や親戚ではなく、たまたまスミス姓が揃ったのだが、ブルースのレコーディング史の最初期を彩った忘れられないシンガーたちだ。彼女たちの音楽スタイルは「クラシック・ブルース」あるいは「ヴォードヴィル・ブルース」と呼ばれてきた。
4人の中で最年長のメイミー・スミス(1883年生)は10才からショウビジネスの世界に入り、1910年にはミンストレル・ショーの一員として巡業していた。初録音時にはすでにハーレムでスターだったとも言われる。彼女にとって2枚目のレコード、1920年に発売された〈クレイジー・ブルース〉はブルースのレコードとして異例のセールスを記録し、レコード会社にブルースの市場があることを知らしめた。雨後の筍のごとく、各レコード会社がメイミーと同じようにミンストレル・ショーやヴォードヴィル(歌や踊りなど多彩な演芸を見せた一座の見せ物)で活躍していた女性シンガーを録音し始める。その中で最大のスターとなったのが、「ブルースの女帝」ことベッシー・スミス(1894年生)だ。彼女を発掘したクラレンス・ウィリアムスのピアノ伴奏によるデビュー・レコードは1923年に発売されると80万枚を売上げたという。
ガートルード・マ・レイニー、アイダ・コックス、アルバータ・ハンター等、女性シンガーが続々登場する一方で、男性ブルース・シンガーも出番を待っていた。1923年、女性ブルース・シンガー、サラ・マーティンの録音にギタリストのシルヴェスター・ウィーヴァーが伴奏をつけた。その約一週間後、ウィーヴァー自身に録音の機会がやってきた。〈ギター・ブルース〉と〈ギター・ラグ〉のカップリングで、いずれも歌の無いインストゥルメンタルだった。これが初のカントリー・ブルースのレコードと言われる。翌1924年にはパパ・チャーリー・ジャクスンが自身のバンジョーを伴奏に〈パパズ・ロウディ・ロウディ・ブルース〉のヒットを飛ばす。これが引き金となり、いよいよギターを弾きながら歌う男性シンガー/ミュージシャンたちが次々とレコードに刻まれていくようになる。南部のブルースマンたちのレコード・デビューが目の前に迫っていた。
メイミー・スミス
Vaudeville Blues(JSP 77161) [2012]
ブルース研究家マックス・ヘイムスによる、ヴォードヴィル・ブルースとカントリー・ブルースの関連を歌詞から紐解いた意欲的コンピレーション。CD4枚組。メイミー・スミスの〈クレイジー・ブルース〉も収録