登場時、エレキ・ギターに求められたのはなにより音量だった。クラシックのコンサートのように聴衆が静かな場所ではなく、おしゃべりや怒号、ときどき銃声まで飛び交う夜の酒場でブルースは奏でられた。アコースティック・ギターの音はかき消されがちで、共演するピアノや管楽器の音に隠れてしまうこともあった。そのため共鳴板の付いたリゾネイター・ギターやサム・ピックを用い、少しでも音を大きくする工夫がなされた。
エレキ・ギターの登場は1930年代に入ってからで、ブルースのレコードに初めて登場したのは、1938年3月に行なわれたビッグ・ビル・ブルーンジーのセッションだとされる。弾いたのはビルではなく、当時まだ16才の白人青年、ジョージ・バーンズだった。同年末にはケイシー・ビル・ウェルドンがエレキ・スティール・ギターで録音を残している。
翌1939年にはアンディ・カーク楽団が、フロイド・スミスのエレキ・ギターをフィーチャーした〈フロイドのギター・ブルース〉を発表。アンプ性能の向上もあったのだろう、アコースティック・ギターでは得られない、エレキならではの新しい表現となった。この頃にはエレキ・ギターを手にしていたTボーン・ウォーカー(1910-1975)は、1942年にエレキでの初めての録音を行なった。そのときすでに、B・B・キングやチャック・ベリーにも影響を与える彼のスタイルは出来上がっていた。「モダン・ブルース・ギターの父」と言われる彼の奏法はエレキ・ギターの時代へと導いたのだ。
大音量を獲得できたことでギターはソロ楽器として楽団の前面に出るようになった。それまで主役を張っていたサックスなどの管楽器と並ぶ役割を果たすようになる。ハーモニカも同じだった。リトル・ウォルターが1952年にR&Bチャート1位に送り込んだ〈ジューク〉は電気増幅(アンプリファイド)されたハーモニカが、まさにサックスのように響くインストゥルメンタル・ナンバーだった。
ソロ楽器だけではなかった。1951年にフェンダー・ベース「プレシジョン」が登場すると、リトル・ウォルターとの共演などで知られるジ・エイシズのデイヴ・マイヤーズはすぐに使用し、人気を得た。
電化によって大音量を得ただけでなく、楽器の役割を変え、新たな表現方法を発明したミュージシャンたち。その創造力に脱帽するしかない。