第二次大戦後のシカゴ・ブルース・シーンは、マディ・ウォーターズ、ハウリン・ウルフ、エルモア・ジェイムズのバンドを頂点とする、エレキ・ギターを軸にしたバンド・サウンドが花開いた。それは南部のサウンドの発展型でもあった。
1940年代後半にTボーン・ウォーカー、50年代に入るとB・B・キングが新たなエレキ・ギター奏法を打ち出し、成功をつかんでいく。注目すべき点は、ギターのソロ(リード)楽器としての役割が大きくなったことだろう。とくに1950年代半ばから顕著になる、B・Bのダイナミックなベンディング(チョーキング)は広く影響を与え、シカゴのプレイヤーにも波及する。
B・Bより約10才若い1934年ミシシッピ生まれのオーティス・ラッシュは、バディ・ガイ(1936年生)、マジック・サム(1937年生)と並び、シカゴの新世代として頭角を現しつつあった。1956年に新興のコブラ・レコードからデビュー曲〈アイ・キャント・クィット・ユー・ベイビー〉を発表すると、R&Bチャート6位の成果を上げる。全国チャートに上がったのはこの一曲だけだが、コブラ・レコードに1958年までに残した〈ダブル・トラブル〉などの作品は、今も色褪せない深みと新鮮さがある。オーティスのギターはB・Bに負うところもあるが、劇的なベンディング、独創的なフレージングは無二のもの。スライド・ギターのニュアンスを指で弾いて出そうとしたというが、同じ左利きのシカゴのギタリスト、カルロス・ジョンスンが「オーティスのプレイは真似しようにもできない」と敬意を込めて語っていたことを思い出す。
ルイジアナ出身でギター・スリムに憧れたというバディは58年のアーティスティックからのデビュー・シングルではB・Bの影をちらつかせている。同時期のオーティスと似たところもあり、互いに切磋琢磨していたことがうかがえる。
57年にレコード・デビューしたミシシッピ出身のマジック・サムは、トレモロの使用やリズム楽器としての奏法を追求するなど、二人とは違ったアプローチを見せている。ボビー・ブランド、ジュニア・パーカーの作品で弾いていたテキサスのギタリスト、ロイ・ゲインズやクラレンス・ハラマンの、ベンディングを多用しない奏法からも多くを学んでいる。他に同世代ギタリストでは、フレディ・キング(34年生)、ルーサー・アリスン(39年生)がいる。
先の三人を録音したコブラ/アーティスティックが、シカゴのウェスト・サイドにあったことから、彼ら新世代シカゴ・ブルースを指して「ウェスト・サイド・サウンド」と言うこともある。
エレキ・ギターの登場とその奏法の発展によって現れたシカゴ・ブルース新世代。彼らは来る「非黒人聴衆」にも強くアピールするスタイルを持っていた。
ザ・コンプリート・コブラ・シングルズ
(Pヴァイン PCD-18528/31) [2008]オーティス、バディ、サムが活動初期に録音を残したシカゴのコブラ・レコードのシングル作品を網羅したCD4枚組ボックス