ブルース&ソウル・レコーズ

【ゴスペル・トレイン~ゴスペル界の名士たち 第2回】ファイヴ・ブラインド・ボーイズ・オブ・ミシシッピ

アーチ―・ブランリー(右から2番目)在籍時の“ミシシッピ”

今日のR&Bやソウル・ミュージックなどの重要なルーツであり、ロックにも影響を与え、ジャズとも繋がり、ブルースとも深く関係するゴスペル。創刊以来、本誌ではブルースやソウルだけでなく、ゴスペルの魅力もさまざまな記事で読者に伝えてきました。No.76(2007年8月号)から続く佐々木秀俊さんの連載『ゴスペル・トレイン~ゴスペル界の名士たち』もそのひとつ。その大人気連載をウェブで第1回からお届けします。“聖なるエンタテインメント”=ゴスペルの世界へようこそ!


【第2回】天才シンガーを擁した名門中の名門カルテット -ファイヴ・ブラインド・ボーイズ・オブ・ミシシッピ
[文]佐々木秀俊

アーチー・ブラウンリー。この人の悪口は見たことも聞いた事もない。ブラック・ミュージックを掘り下げて聴いている人々の中にはへそ曲がりな人も多く、「みんなあのアーティストを高く評価するけど私は認めない」というような言説を見聞きする事も珍しくない。しかし、ブラウンリーに関しては誰からも賞賛の言葉以外は聞いたことがない。人それぞれ、何を素晴らしいと思っても思わなくてもいいじゃんかという意見ももっともだが、やはり普遍的に素晴らしい、凄いというものは存在する、彼の歌声にはそう思わせる程の圧倒的な力がある。後のゴスペル〜ソウルにおけるシャウト唱法の元祖として採り上げられる事が多いが、とてもそんな単純な括りでは説明し切れない美しさも憂いも持ち合わせており、ブラック・ヴォーカルの魅力の全てが詰まっていると言ってもいい。

そんな希代の名シンガーを擁していた、ゴスペル・カルテット界の名門中の名門がファイヴ・ブラインド・ボーイズ・オブ・ミシシッピだ。ブラウンリーの凄さだけではなく、グループそのものも重厚で風格あるコーラスを誇る第一級の実力者で、「世界最高の男声音楽」とも言えるゴスペル・カルテットの素晴らしさを知る上で、彼らは決して欠かせないと言っていい。

ただ気をつけたいのは、彼ら「だけ」が素晴らしいのでは決してないと言うこと、これは認識しておきたい。あまりにも名高い故に、彼らがゴスペル・カルテットの全てであるような、彼らを聴いておけばカルテットについては事足りるかのような風潮がかつてはあった。その「被害者」は今を時めくブラインド・ボーイズ・オヴ・アラバマだったなあ……とにかく、彼らの素晴らしさは彼らを生み出したブラック・ミュージックの歴史の豊かさ、ゴスペル・カルテットの層の厚さを物語っているということだ。そうした豊かな文化が産んだ「素晴らしいカルテットの一つ」がミシシッピであり「素晴らしいシンガーの一人」がブラウンリーだったのだ。「富士は日本一の山」だからって、「私は富士山しか登りません」という人がいたとしたら、その人を登山家として認めるのはどうかと思うでしょ? どうかひとつ、ミシシッピを聴くことによって、素晴らしいゴスペル・カルテットの世界へとどんどん足を踏み入れ、他の素晴らしいカルテットやシンガーに巡り会ってほしいと思う訳です。

 

彼らはミシシッピ州のパイニー・ウッズ盲学校の生徒達だった。学費を稼ぐ為に7〜10歳の生徒達で「コットン・ブロッサム・シンガーズ」というグループを組んで近郊の教会や学校で童謡や黒人霊歌を歌って回ったのが始まりで、やがてその中からプロ歌手を志望する生徒達が「ジャクスン・ハーモニアーズ」を結成した。1943年のことだった。当時、プロのゴスペル・カルテットとして全国を巡業していたソウル・スターラーズの弟子となって実力を培い、1947年にレコード・デビューした。レパートリーも歌唱スタイルも、スターラーズ直系であった。特にブラウンリーはスターラーズのリード・シンガーで「ゴスペル・カルテットの父」と称される偉大なR.H.ハリスから即興性豊かな歌唱を学び、更にミシシッピのコーチ兼リード・シンガーのパーセル・パーキンズの指導によりワイルドな表現力が開花。強力なリード・シンガーに成長した。

1948年、ニュージャージー州ニューアークで、盲学校で結成されたという似た境遇のアラバマ出身のカルテットと出会う。プロモーターは「アラバマとミシシッピ、二つのブラインド・ボーイズの対決!」という企画で売り出し、これが大当たり。以後、両グループは時にメンバーを互いにトレードし、時には合併(80〜90年代に8年間も!)しながら、ともに現役である。アラバマは積極的に「今」の音楽シーンと関わり、ミシシッピは伝統的なスタイルを踏襲し続けるという違いはあるけれども……。

1950年、ブラウンリーのブルージーなリードと重いドラムのビートによる〈アワ・ファーザー〉がゴスペル史上屈指の大ヒットを記録、以後、このスタイルを軸に硬軟様々なタイプの曲もこなし、約10年間、ピーコックやヴィー・ジェイにブラウンリーをフィーチュアした珠玉の録音を残し、ゴスペル黄金期最強のカルテットの一つとして活躍する。

60年、ブラウンリーの死去(35歳の若さであった)という大打撃を受けながらも、ウィルマー・ブロードナクス、ロスコー・ロビンスン、ヘンリー・ジョンスン……と素晴らしいリード・シンガーの継投によってグループは存続、現在(2007年)も70年代からリードを務めるサンディ・フォスターのパワフルなシャウトと、ブラウンリーばりのブルー・ヴォイスの持ち主チャールズ・モンタギューのタッグで頑張っている。アラバマのような華やかな活躍ではないものの、グループの伝統、ゴスペル・カルテットの伝統に敬意を払った活動ぶりには好感が持てる。2001年に来日して素晴らしいステージを披露してくれた。


【基本の一枚】

FIVE BLIND BOYS OF MISSISSIPPI
Five Blind Boys Of Mississippi
2CD(Acrobat ADDCD-3003)2007

46年エクセルシャーでの初録音から54年までのピーコック録音を網羅した2枚組。

(初出:『ブルース&ソウル・レコーズ』2007年10月号 No.77)