今日のR&Bやソウル・ミュージックなどの重要なルーツであり、ロックにも影響を与え、ジャズとも繋がり、ブルースとも深く関係するゴスペル。創刊以来、本誌ではブルースやソウルだけでなく、ゴスペルの魅力もさまざまな記事で読者に伝えてきました。No.76(2007年8月号)から続く佐々木秀俊さんの連載『ゴスペル・トレイン~ゴスペル界の名士たち』もそのひとつ。その大人気連載をウェブで第1回からお届けします。“聖なるエンタテインメント”=ゴスペルの世界へようこそ!
【第4回】女の世界で名を上げた驚異のシンガー — 人呼んで“中西部の雷”ブラザー・ジョー・メイ
[文]佐々木秀俊
ゴスペルの歴史的な流れは大きく分けると二つあると言われている。一つはカルテット系で、これは男の世界である。もう一つはシンガーズ系で、こちらはソリスト、小グループ、クワイアを包括し、女系である。(何故そうなのかは、長くなるので今回は割愛します。)
そういう訳で、女声カルテットだとか、シンガーズ界の男だとかいうのはかなり地味な存在である。女声カルテットは数えるほどしかないし、それも「知る人ぞ知る」程度の知名度だ。男性ソリストはそれよりは数が多いが、何故かおとなしめの人が多く、後のゴスペル界やソウル界に影響を及ぼした偉人で男といえば、それは殆どカルテットのリード・シンガーだ。つまりゴスペル界の巨人は、男ならカルテット系から、女ならシンガーズ系から輩出されてきたという、かなりはっきりした構図があるのだ。
それでは男のソリストで大物はいないのか、というと、多くはないがいることはいる。アレックス・ブラッドフォードやジェイムズ・クリーヴランドが先鞭をつけ、さらにモダン・ゴスペルになると数多くのビッグ・ネイムを挙げることができる。しかし、彼らの多くは歌手としての力量だけではなく、コンポーザーやディレクターとしての功績も含めて評価されていると言えるだろう。
そこで、歌の実力だけでカルテットのリード・シンガーや偉大な女性歌手と渡り合える男性ソリストを挙げるとなると、これはブラザー・ジョウ・メイにとどめをさす。人呼んで「中西部の雷」。またの名を「男マヘリア・ジャクスン」。これらの異名が示す通り圧倒的な声量を持ち、シンガーズ系の女傑達が築きあげてきたヴォーカル・テクニックを完璧に男声に適用し得た驚異のヴォーカリストなのである。
故ジェイムズ・ブラウンが唄ったように「この世は男の世界〜♪」であり、たとえば強い女子キックボクサーが出てくれば「女沢村忠」と呼ばれるように(古い)、女の方が亜流扱いされる例が多い中、マヘリアが「女ジョウ・メイ」と呼ばれるのではなく、メイが「男マヘリア・ジャクスン」と呼ばれるあたり、女系社会であるシンガーズの世界らしくて面白い。
彼の存在の大きさを示す例として、スペシャルティから出たアルバムの販売状況がある。偉大なゴスペル・アーティストの宝庫であるこのレーベルは、アルバムの超・超ロング・リリースで知られる。つまり50年代に出たアルバムが、人気が落ちないアーティストのであれば今でも買えるのである。たとえばスワン・シルヴァートーンズやブラインド・ボーイズ・オヴ・アラバマ。スペシャルティでこういう扱いをされれば、超大物と言って良いだろう。そしてジョウ・メイのデビュー・アルバムとライヴ・アルバムは、堂々の超ロングセラーなのだ。
1912年にミシシッピ州メイコンで生まれたジョウ・メイは、始めはゴスペルを唄う少年としては当然のようにカルテットのリード・シンガーだった。しかし、彼の通う教会がシンガーズ系ゴスペルを全国に広めた一大宗派チャーチ・オヴ・ゴッド・イン・クライストであったこと、そして「ゴスペルの母」と呼ばれる偉大なるウィリー・メイ・フォード・スミスの指導を仰いだことがその運命を決定づける。
現在につながるゴスペル唱法の礎を築いた人物であるウィリー・メイから「免許皆伝」のお墨付きをもらった彼は、49年にスペシャルティと契約、その年に吹き込んだ〈サーチ・ミー・ロード〉がいきなり大ヒット。その後に出した〈ドゥ・ユー・ノウ・ヒム〉がこれまた大ヒットし、たちまちにしてゴスペル界を代表する存在となった。
彼の歌はパワー満点の激しいものだが、カルテットのシャウター達とは感触が違う。ウィリー・メイやマヘリアとそっくりの豊かなフレージングを駆使して、たっぷりと歌を盛り上げていく様は、さながら不知火型土俵入りのせり上がりのような迫力がある。実は大変な技巧派なのだが、嫌味は全くない。彼のスペシャルティ時代の代表作のひとつに〈アワ・ファーザー〉がある。ブラインド・ボーイズ・オヴ・ミシシッピが唄ったヴァージョンが歴史的ヒットとして名高いので、カルテットとの違いを知る上で聞き比べるのも良いだろう。スペシャルティではクワイアをバックに唄ったりワイノナ・カー(現代型ゴスペル・スターの原型と言える女性シンガー)とデュエットしたりと、幅広い活躍をした。
58年にはナッシュボロと契約、活動の中心を南部に移した。ゴスペルの勢いが落ちつつあった60年代半ばにあっても、第一線で活躍できた数少ないシンガーだったが、無理を押して巡業を続けたのがたたり、72年、ジョージア州の巡業先で心臓発作により亡くなった。後年の男性ソウル・シンガーに繋がるスタイルではない為、彼の名声はゴスペルの世界を越えることはなかった。しかし、「カルテット以外でもこういう凄い歌手がいたんだ」という事は忘れないでいたい。
【基本の一枚】
BROTHER JOE MAY
Thunderbolt Of The Middle West
(Specialty SPCD-7033-2)
“Search Me Lord”他、1950〜55年にかけてスペシャルティに吹き込んだ27曲を収録。
(初出:『ブルース&ソウル・レコーズ』2008年2月号 No.79)