20世紀の初頭にプロとして演奏活動をしていたミュージシャンの話の中にひんぱんに登場する言葉がある。「メディシン・ショー(Medicine Show)」だ。それは薬を売るための見せ物で、基本的に見るだけなら無料だった。南北戦争の後、薬の販売に関する規制もまだ緩やかだった時期に増加し、それゆえに「薬」といえど効能があやしいものもあったという。
出演するのはプロのミュージシャン。ラジオもテレビも登場する前で、レコードの普及もまだの頃だから、アメリカ南部の人々にとって一流のパフォーマンスを目にしたり耳にする機会は、メディシン・ショーのような巡回する演芸団にほぼ限られていた。音楽が中心のショーだったが、コメディもあれば、ダンスもありと、その演目は多彩。コミック・ソングに、人気のポピュラー・ソングやミンストレル・ソング、ラグタイムやケイク・ウォーク、リールなどのダンス・チューン、民衆の間で歌い継がれているフォーク・ソング、そしてブルースも。比較的規模の大きな劇場などで行なわれていた「ミンストレル・ショー」の移動型小規模版ともいえ、農村地帯の労働者が主な聴衆だった。
ブルース第一世代と呼ばれる、1880~90年代生まれのミュージシャンたちの中には、メディシン・ショーに加わり、各地を巡業していたものもいた。ジャグ・バンドを代表する、キャノンズ・ジャグ・ストンパーズのガス・キャノンは「バンジョー・ジョー」の名で活躍していた。またメンフィスのフランク・ストークスやファリー・ルイスもメディスン・ショーの一員として活動していたことがある。彼らの演目はブルースに限らず、土着のバラッドやダンス・チューンも得意としていた。幅広い歌のレパートリーを持ったシンガーは「ソングスター」、演奏に優れた人たちは「ミュージシャナー」と呼ばれていた。「ブルースマン」という言葉が登場する前の時代だ。
その他の第一世代では、レッド・ベリー(本名ハディ・レッドベター)、より上の世代のヘンリー・トーマス(1874年生)、1960年代にフォーク・リヴァイヴァル期に脚光を浴びたミシシッピ・ジョン・ハートがなかでも名高い。ギターとクウィルと呼ばれる笛を奏でたヘンリー・トーマスは放浪する旅芸人、いわゆるホーボー(hobo)のミュージシャンだった。彼の演目はブルース以前のものも多く、「ブルースがどういう音楽に囲まれて生まれたのか」「ブルースのどこが新しかったのか」を考えるのに最高のサンプルとなる。
Good for What Ails You - Music of the Medicine Shows 1926-1937 (Old Hat CD1005) [2005]
メディシン・ショーで演奏された楽曲を集めたコンピレーションCD2枚組。ブルース第一世代となるガス・キャノン、ヘンリー・トーマス、フランク・ストークスらも登場。詳しい解説が掲載されたブックレットも貴重だ
W.J. Morgan & Co. / Library of Congress
元奴隷によるノース・カロライナのミンストレル一座。1876年頃、オハイオ州クリーヴランドにて撮影。ミンストレル一座とメディシン・ショーの演目には共通するものがあった