1950年代の終りころから始まった「フォーク・リヴァイヴァル」は、埋もれていたアメリカ生まれの音楽を掘り起こす作業だった。それ以前にも、ジョンとアランのロマックス親子による南部の民衆の中で歌い継がれている曲(フォーク・ミュージック)を採取するフィールド・レコーディングが、1930年代には行なわれていた。その成果のひとつは、ルイジアナ州立刑務所でのレッド・ベリーの「発見」だった。レッド・ベリーやジョシュ・ホワイトなどの黒人シンガーがコミュニストの集会や大学主催のコンサートに呼ばれることもあった。1948年にはフォークウェイズ・レコードがニューヨークで設立され、フォーク・ミュージックの普及に大きな役割を果たした。1952年には研究家ハリー・スミスが編纂したアルバム『アンソロジー・オブ・アメリカン・フォーク・ミュージック』が同レーベルから発売され、ボブ・ディランを始め、当時の若者たちに大きな刺激を与えている。こうして古いブルースを耳にする白人の若者は徐々に増えていった。
50年代末から、主に大学生の若者を巻き込んだ「フォーク・リヴァイヴァル」が始まった。その渦中で、かつてレコードを出していた古老ブルースマンの「再発見」が盛んになる。サン・ハウス、ミシシッピ・ジョン・ハート、ゲイリー・デイヴィス師、スキップ・ジェイムズ、ブッカ・ホワイト、ファリー・ルイス他、多くが突然の脚光を浴びた。この機に初めて録音を経験したブルースマンもいる。ミシシッピ・フレッド・マクダウェルはその筆頭だろう。彼らとの交流を含め、当時のことが瑞々しく綴られたデイヴ・ヴァン・ロンクの回想録『グリニッチ・ヴィレッジにフォークが響いていた頃』は、必読の面白さだ。腕相撲で無類の強さを見せたミシシッピ・ジョン・ハートなど、逸話にも事欠かない。
書籍『ザ・ブルース・ブック Vol.Ⅱ』(ローレンス・コーン編/中江昌彦訳)のジム・オニールによる「60年代のブルース・リヴァイヴァル」という章に当時の白人の若者たちの意識が描かれている。「ブルースが好きなことはヒップなこと」で、純粋に音楽としてブルースを楽しむ者がいた。一方で「疎外感を持つアメリカの若者層の反体制文化は、ブルースを単なる音楽ではなく、一つの表現手段として取り込んでいた。(中略)反抗的な若者たちの目には、ブルースはギターを抱えた無法者や、男性的なアンチ・ヒーローの歌と映っていた」。
フォーク/ブルース・リヴァイヴァルのピークは1962〜64年であったが、そこで芽生えたブルースへの注目は、以降も熱心なファンや研究者たちの手で継続されていく。それはブルースにとって、新しい市場(マーケット)が生まれたことも意味していた。
グリニッチ・ヴィレッジにフォークが響いていた頃 デイヴ・ヴァン・ロンク回想録
デイヴ・ヴァン・ロンク/イライジャ・ウォルド著
真崎義博 訳
早川書房刊 [2014]
ニューポート・フォーク・フェスティバル フィーチャリング ボブ・ディラン、ジョーン・バエズ、PPM etc.
(ビデオアーツ VABG-1191)[2005] DVD
フォーク・リヴァイヴァルを捉えた貴重なフィルム。ミシシッピ・フレッド・マクダウェル、サン・ハウス他、ハウリン・ウルフも登場