ブルース&ソウル・レコーズ

【鈴木啓志のソウル・レコード・レーベル物語 第3回】ドゥートーン/ドゥート -前編

60年代からブラック・ミュージックを探求し続ける音楽評論家、鈴木啓志さんが忘れられないレコード・レーベルの足跡を追う大人気連載《なるほど!ザ・レーベル》。連載開始から17年、No.172で第100回を迎えた。


 【第3回】ドゥー・ワップ不朽の名作を生んだ西海岸の〈ドゥートーン/ドゥート〉 -前編

ドゥートといえばペンギンズの〈アース・エンジェル〉である。これに尽きる。この曲に出会ってから幾年月。40年近く経つと思うが、未だにこの曲を聞くたびに胸がしめつけられる。最初のピアノの三連の響き、厳かなドラムスのキープに続き、コーラス隊が“オーオオーオー、ワオオー”とやるともうたまらない。それをクリーヴランド・ダンカンが“アース・エンジェル、アース・エンジェル、ウィル・ユー・ビー・マイン”と受け、さらにコーラスが厚く“ワーオー、ワーアアオー”と応えるところの見事さよ! まさにドゥー・ワップの極致である。

68年、アルバイトで苦労して手に入れた金を片手にとある中古レコード店で手にしたのがいわゆる“オールディーズ”といわれるアルバム数種だった。その時聞いたムーングロウズの〈ホウェン・アイム・ウィズ・ユー〉と〈ウィ・ゴー・トゥゲザー〉、そしてこの〈アース・エンジェル〉の3曲はドゥー・ワップにのめり込ませるに十分すぎるほどの魔力を放っていた。以来この音楽に夢中になることなること。ブルース/ソウル、ゴスペルと並んでドゥー・ワップはぼくにとって大事な大事な音楽となった。70年代前半まではドゥー・ワップこそ最高のコーラス形態と信じて疑わなかったものである。ところが聞き込むにつれ、大体パターンが読めてきて、本当にいい曲は多くはないと気が付き始めた。このペンギンズにしても、彼らのレコードはすべて耳にしたが、名作といえるのはこの1曲だけで、それに近づける曲すらない。こうなると“ドゥー・ワップ・コーラス最高説”にも急に翳りが出て、その思いが後に“ドゥー・ワップ・コーラスからソウル・コーラスへ”というぼく自身の連載を書かせる動機ともなった。

だが、まあその話はよしとしよう。何しろ、最高のドゥー・ワップに1曲でも出会わせてくれたドゥーツィ・ウィリアムズとドゥート・レーベルにはいくら感謝してもしすぎることはない。アメリカでも大体事情は同じだったようで、そのレーベルや彼についての詳しい記事が最初に載ったのはドゥー・ワップ専門誌の『レコード・エクスチェンジャー』だった。その第3、4号(70年6月〜9月)に載せられた記事は貪るように読んだものだ。だが、彼にインタヴューしているにもかかわらず、彼はドゥートの前にジョー・ターナー・レーベルをやっていたというわけのわからないことしか書いていない。ところが、しばらくするとウィリー・ヘイドゥンやロイ・ミルトンのアルバムも彼は出していてそれがなかなかすばらしく、奥の深いレーベルであることがわかってきた。そうしたブルース系の業績をまとめたのが去年(2006年)CD化された『Blues For Dootsie』であり、彼がブルー・レーベルを経営したというそれまであまり視野に入っていなかったこともわかり、目の前が急に開けたような気になったものだ。

ペンギンズが表紙のRecord Exchanger誌(1970年)

コメディアンのLPで成功を収める

オーナーのウォルター“ドゥーツィ”ウィリアムズが生まれたのは1911年のことで、ヴァイオリン、トランペットをやり、自分でオーケストラを作ったような根っからのミュージシャンだった。デューク・エリントンやカウント・ベイシーのような楽団が彼のモデルとなり、ネリー・ラッチャーもピアニストに加わっていたと彼は語っている。そのうちにウェスト・コーストでタレント・スカウトを始めた彼はMGMのために働き始める。49年にMGMで録音された10曲余りのジョー・ターナーの作品がまさに彼の業績である。その年5月、彼はタレント・スカウトで培った腕をレーベル経営の方に向ける。ビリー・ミッチェルの“The Song Of The Woodpecker / Ice Man”(Blue 101)がその記念すべき最初のレコードだった。何とこれはコメディアンのレコードなのだ。だが、それは極めてそのレーベルを象徴しているともいえる。50〜60年代、彼が一番成功したのはコメディアン、レッド・フォックス(Redd Foxx)の数々のアルバムだったからだ。

ブルー(中にはBlu、Bluesというのもあった)では52年まで37枚のレコードが出されたというから、たいしたものではある。むろん大きく成功したものはない。主なアーティストは、名前だけは良く知っていたジョニー“ブルース”テイラー、ボビー・ナン、ジョー・ターナー、それにクレオ・ブラウンら女性陣。ジョーのものにしても、ドゥーツィ・ウィリアムズ名義で出されていたために、今までその存在を知らなかったほどだ。そのレーベル・カラーはそのレーベル名通り、ウェスト・コーストのジャンプ・ブルースを基調としたものとなるが、やや名前倒れといったところがあり、特にすごい作品というのはない。ジョニー“ブルース”テイラーにしても名前が名前だけにどんなにすごいかと期待していたのだが、案外平均的なブルース・シャウターだった。むしろ、個人的にはロビンズのボビー・ナンの歌うスロー・ブルースが身に沁みたくらいだ。

51年末になって、彼はもう少し売り易いレーベル名はないかと考え始めた。そういやあ、オレのダチのロイ・ミルトンはミルトーンというレーベルをやっているじゃないか、ライオネル・ハンプトンもハンプ・トーンというレーベルを持っている。じゃあ自分は Dootone で行こう! こうして始まったのがドゥートーン、後のドゥートである。最初のレコードはジョニー・クリーチの“Danny Boy”(Dootone 301)で、これはブルースではなく、ヴァイオリン奏者による演奏曲だった。他にも彼はカール・パーキンス、デクスター・ゴードンのジャズも制作していたという。だが、引き続きボビー・ナン、ピート・ジョンスン(歌はビッグ・デューク・ヘンダースン)、ジョー・ターナー、ベティ・ホール・ジョーンズなどブルース系の作品でドゥートーンの初期のカタログは埋められていた。ヴォーカル・グループが登場するのは53年くらいからのことだ。そのひとつがウィッパーウィルズというグループで、5、6枚のレコードが残されている。だが、このグループは“ポップ”だったので、後に1200番台に移されることになった。

〈アース・エンジェル〉の大ヒット -(1)

ドゥーツィがペンギンズに出会ったのは54年のことだった。既にR&Bグループの動きは各地で目立っていた。リーダーのカーティス・ウィリアムズ他、4人全員が他のグループを経験しており、“バード”グループの伝統にならい、ペンギンズと名乗っていた。メンバーのカーティスが書いた〈アース・エンジェル〉は54年6月市場に出された。“Earth Angel (Will You Be Mine) / Hey Senorita”(Dootone 348)がそれである。それは年末にようやく火が点き、R&Bチャートの1位を制した。3週連続したというから相当売れたのだろう。それまでのドゥートーンのレコードと違い、白人がたくさん買ってくれたのが違うとドゥーツィは言う。事実ポップ・チャートで最高8位という実績はそれを物語る。ところが、これがバカ売れしたからややこしくなった。ジェシー・ベルヴィンがこれは自分が書いた曲だと主張し、訴訟にまで発展した。結局、彼らはジェシーが書いた曲の20%を使ったことを認め、さらにその時一緒にプレイしていたゲイネル・ホッジの名を入れることで話がまとまった。後にプレスされたものにこの3人の名が連記されているのはそのためである。

THE PENGUINS – “Earth Angel (Will You Be Mine) / Hey Senorita (Dootone 348)

作曲者クレジットが“Curtis Williams”一人だけの1954年プレス盤

この成功で多くのドゥー・ワップ・グループがこのレーベルに登場することになった。中でも一番有名なのがドン・ジュリアン&ザ・ミドーラークスという4人組だ。彼らには〈ヘヴン・アンド・パラダイス〉(Dootone 359)という捨て難い曲があった。〈アース・エンジェル〉を名作と呼ぶのなら、とてもその基準には達しない曲ではあるが、その素朴なコーラスが良く、よく聞いたものだ。このドン・ジュリアンは今一度ラークスというグループを再結成し、〈ザ・ジャーク〉のヒットでソウル時代にむしろ大きな足跡を残していく。

ヴァーノン・グリーンをリードに擁していたメダリオンズの〈ザ・レター〉(Dootone 347)も悪くない。このヴァーノンもソウル・シンガーとしてもレコーディングしていた人だ。その他、グループ名だけ挙げておくと、ドゥートーンズ、カルヴェインズ、ロマンサーズ、カフ・リンクス、パイプスなどそれこそ腐るほどいた。こうしたグループの作品は早くに『The Best Vocal Groups – Rhythm And Blues』(Dooto 204)、『The Best Vocal Groups In Rock ‘N’ Roll』(同224)、『The Oldies – Great Groups/Vocal』(同 855)、『Rhythm ‘N’ Blues – Hit Vocal Groups』(Authentic 501)といったLPにまとめられ、随分重宝したものだ。なお、このオーセンティックというのはLP時代にドゥートが一時使っていたレーベル。またレーベル名が Dooto に変わっているがこれは57年初めのことで、シングル盤でいえば、スーヴェニアーズの“Alene, Sweet Little Texas Queen / So Long Daddy”(Dooto 412)が最初である。

『Rhythm ‘N’ Blues – Hit Vocal Groups』(Authentic 501) [LP]

不思議なのは、これほどたくさんのグループが在籍していながら、〈アース・エンジェル〉以外にチャートに入っている曲はないということ。その曲のすばらしさに引っ張られたという以外にないが、先にも触れたようにドゥー・ワップが特殊な技法だっただけに限界が来るのも早かったということだろう。この中で1曲挙げておけば、ボビー・フリーマンが在籍していたロマンサーズの〈アイ・スティル・リメンバー〉(Dootone 381)ということになる。コーラスといい、途中のハイ・テナーへの交換など見事というに尽きる。

他のドゥー・ワップ・グループにしても東海岸のグループのようなうまく練られたスタイルというのは少なく、むしろスーヴェニアーズの〈ダブル・ディーリング・ベイビー〉(Dootone 392)、ミドーラークスの〈ブギ・ウギ・ティーンエイジ〉(Dootone 405)のようなジャンプ・ブルース・スタイルの曲に良さが出ていたりする。

 

▶︎近日後編も公開予定


鈴木啓志

1948年北海道函館市生まれ。3歳の頃から東京に住み、現在川崎市在住。横浜国立大学経済学部卒。在学中にブルースやソウルのファン・クラブに深く関わるようになり、同時に執筆活動を開始、ブラック・ミュージック専門の音楽評論家となる。著書としては『R&B、ソウルの世界』(ミュージック・マガジン)、『ソウル・シティUSA~無冠のソウル・スター列伝』(リトル・モア)、『ゴースト・ミュージシャン~ソウル黄金時代、アメリカ南部の真実』(DU BOOKS)、『US Black Disk Guide』(編著/ブルース・インターアクションズ)などのほか、趣味の将棋の知識を活かした『東海の鬼 花村元司伝』(日本将棋連盟)もある。