「シカゴ・ブルース」。その名称はブルース・ファンの心を大いに奮わせる。文字通り、全米三位の人口を誇る大都市、イリノイ州シカゴで発展したブルースを指す。
第一次大戦時から増加した、南部黒人たちのシカゴへの移住によって、1930年にはニューヨークのハーレムに次ぐ規模となる黒人居住区がサウス・サイドに生まれた。ブラック・ベルトとも呼ばれる同地区には音楽も溢れていた。
まだ本格的にエレキ・ギターが導入される前の1930年代から40年代にかけてのシカゴのブルースは、ブルーバード・レーベルに残された作品でうかがい知れる。後にマディ・ウォーターズの恩人となったビッグ・ビル・ブルーンジーやジョン・リー〝サニー・ボーイ〟ウィリアムスン、タンパ・レッド、ビッグ・メイシオ、ジャズ・ギラム、ウォッシュボード・サムらの作品は、ブギ・ウギのリズムを用いたものもあれば、軽快にスウィングするものもあり、総じて洗練されたアンサンブルを聴かせている。ギター、ピアノ、ドラムス、ベース、ハーモニカ、管楽器(トランペットやサックス)といったバンド編成は第二次大戦後、電化楽器が導入されてから発展した「戦後シカゴ・ブルース」の基盤となった。
南部から移住者が増えるとともに、南部流のブルースを求める声も増えていた。ミシシッピ出身のトミー・マクレナンはアコースティック・ギターを手に荒削りなデルタ・ブルースを1939年にシカゴで吹込んで人気を得ていた。同じくミシシッピ出身のアーサー〝ビッグ・ボーイ〟クルーダップも1940年にシカゴへと出て、翌年から録音を開始している。彼らのような南部出身ミュージシャンが多く集まったのが、マックスウェル・ストリートだ。そこで開かれるフリーマーケットに来る人々から小銭を稼ぐためにミュージシャンたちは腕を競いあった。
1964年に録音された、ロバート・ナイトホークによるマックスウェル・ストリートでの路上ライヴ盤は、戦後まもなく、エレクトリック・シカゴ・ブルース誕生期にもこのような腕利きブルースマンが通りで切磋琢磨していたのだろう、と思わせる熱気を路上の喧噪とともに伝えてくれる。
Robert Nighthawk / Live on Maxwell Street
(Rounder 2022) [1979]
シカゴ・ブルース
(Pヴァイン・ノンストップ PVBP-953)[2003]
[下]1970年にシカゴで制作されたドキュメンタリー映像作品。マディ・ウォーターズ、ジュニア・ウェルズ&バディ・ガイらの演奏シーンも貴重だが、シカゴ・ブルースの歴史を知ることができ、ブルースとは何かをブルースマンたちの言葉を軸に探ろうとした貴重な記録だ
And This Is Free - The Life And Times of Chicago’s Legendary Maxwell Street
(Shanachie 6801) [2008]
1964年撮影のマックスウェル・ストリートの貴重なドキュメンタリー映像と、同ストリートで演奏活動したブルースマンの録音を収めた、DVDとCDのセット。ロバート・ナイトホークの姿も見られる