ヨーロッパでブルースへの関心が高まっていた頃、アメリカでも新たな動きが始まろうとしていた。
60年代半ばにビートルズを筆頭とした英国のバンドのアメリカ・デビューが続き、「ブリティッシュ・インヴェイジョン」と呼ばれる現象が起きる。彼ら英国のバンドが手本としたブルース、リズム&ブルースをアメリカ人が発見するという「逆輸入」の事態も起きた。オールマン・ブラザーズ・バンドの前身となるオールマン・ジョイズの66年のデビュー・シングル〈スプーンフル〉(ハウリン・ウルフのカヴァー)は英国ロックの影響を感じさせるものだった。
1965年のニューポート・フォーク・フェスティヴァルでボブ・ディランがエレキ・ギターを手にしたことは大きな〝事件〟となった。その伴奏を担ったポール・バターフィールド・ブルース・バンドは、同年にアルバム・デビューを飾っている。ハウリン・ウルフのバンドで活躍したベース奏者とドラマーを招き入れた、白人と黒人の混成バンドはシカゴで結成された。デビュー・アルバム収録の11曲の内、書き下ろし曲は4曲で、他はシカゴの黒人街でお馴染みのブルースのカヴァーが並んでいる。早くも50年代後半にはシカゴの黒人クラブに出入りしていたポール・バターフィールド(ヴォーカル/ハーモニカ)とマイク・ブルームフィールド(ギター)、1960年にブルース好きが高じてオクラホマからシカゴへ出てきたエルヴィン・ビショップ(ギター)の三人は、シカゴのサウス・サイドでマディ・ウォーターズのライヴに飛び入りさせてもらうこともあった。アメリカの白人の若者たちに、本格的なシカゴのエレクトリック・バンド・ブルースを知らしめたのは彼らのデビュー・アルバムだった。
フォークのアルバムを数多く出していたニューヨークのヴァンガード・レコードは、1965年に『シカゴ/ブルース/トゥデイ!』と題し、ジュニア・ウェルズらによるエレクトリック・ブルース・バンドを収めた新録アルバムを発表。同年、シカゴのチェス・レコードは『リアル・フォーク・ブルース』のタイトルで、マディ・ウォーターズ、ハウリン・ウルフ、サニー・ボーイ・ウィリアムスンらの既発シングル曲をまとめたアルバムを出し、若い白人ブルース・ファンにアピールする。
60年代後半以降、アメリカの若者たちの間でのエレクトリック・ブルースへの関心の高まりは、ブルースマンと白人(ロック)ミュージシャンとの共演作を生む。マディ・ウォーターズとバターフィールド、ブルームフィールドたちとの『ファーザーズ・アンド・サンズ』、ジョン・リー・フッカーとキャンド・ヒートによる『フッカー・アンド・ヒート』等だ。それはブルースマンたちを支える力となった。同時に、英国/欧州でのブルース(・ロック)・ブームも加わって、「ロックのルーツ=ブルース」という図式が現れる。
The Butterfield Blues Band
(Elektra EKL-294) [1966]
若い白人ミュージシャンによる本格的なシカゴ・ブルース・アルバムの登場は、国内外で大きな衝撃を与えた