女はいつもトラブルのもと ── キャリー・ベル撮影秘話 その1
その日は寒く、雨が降っていた。風が強く、雨で湿っぽいシカゴの一日。私たちはアルバム『ディープ・ダウン』のカヴァー撮影を予定していた。
キャリーは私のスタジオに遅れてやって来た。いつもの事だ。ブルースマンはいつも時間に遅れる。一晩中外で飲み歩いているのだから仕方がない。しかし、雨の中やって来たその日のキャリーを見て私たちは驚いた。靴も靴下も履いていなかった。帽子もジャケットも……それどころかシャツすら着ていなかったのだ!
「いったい何があったんだ?」と私たちは尋ねた。
「いやぁ、他の女とウチのベッドで一緒にいたところをカミさんに見つかっちまってね。服を着る暇なく叩き出されちまった(笑)」
私はタオルで彼の体を拭いてやり、お気に入りだったシルク・シャツを撮影のために着せてあげた。ニューヨークでガールフレンドが私に買ってくれたよそ行きのシャツだ。
みんなが満足する良い写真は撮れたが、あのシルク・シャツはキャリーから二度と戻って来なかった!! ああ、私のお気に入りのシャツよ……。
ビッグ・ウォルターと飲み明かす ── キャリー・ベル撮影秘話 その2
読者諸氏はご存知だと思うが、シカゴのブルースマンたちはナイト・クラブやバーで夜通し演奏している。酒場とくれば飲まずにいられない。一晩中、たいてい夜明けまで飲み明かすことになるのだ。だから、アリゲーター・レコードのブルース・イグロアがいったい何を思ってあのアルバム『ビッグ・ウォルター・ホートン with キャリー・ベル』のカヴァー撮影を午前10時からにしたのか私には理解出来なかった。
しかし、予想に反して彼らは時間通りに現れた。私は彼らを朝日の差し込むキッチンに座らせ撮影を開始。ハーモニカを咥えた二人の頭をくっつけて、至近距離から広角レンズで狙う。本当に数インチの距離だ。すると突然、ビッグ・ウォルターがバカでかいブルース・ノートをぶっ放した。それは私のプラスティック眼鏡を溶かし、髪の毛を逆立たせた ―― うわぁ! むちゃくちゃ酒臭い息だ!
実はウォルターもキャリーもその日の午前5時までクラブで演奏していたのだ。家に帰って寝てしまうと絶対朝10時になんて起きられないと心配した彼らは、そのまま酒屋に直行しクラウン・ロイヤルの大瓶を買い求めた。朝の5時に。そしてサウス・サイドからノース・サイドまでドライヴし、私のアパートメントの前に駐車して夜が明けるまで飲んでいたらしい。ただ眠らない為に! 1972年、私がローリング・ストーンズに同行した年の思い出だ。
photos & text by PETER AMFT
[企画協力]永田鹿悟/小田憲司 [日本語訳]井村猛
(c) TWO VIRGINS / Peter Amft
シカゴ・ブルース一筋に生きたハーピスト、キャリー・ベル
[文]永田鹿悟
1936年11月14日、ミシシッピ州メイコン生まれ。本名はキャリー・ベル・ハリントンで、8才の時からハーモニカを始めた。エディ・クリアウォーターとは親戚で、出身も同じ所。ハリントン一派とシカゴではずっと呼ばれている。
10代の頃は、後にシカゴで再会することになるラヴィ・リー(Lovie Lee)のバンドでC&Wを中心に演奏していたというから面白い。1956年に継父のラヴィ・リーとシカゴに移住。大先輩となるハニーボーイ・エドワーズにギターを習う。60年代まではベース・ギターが彼の主だった楽器であった。1964年にはマックスウェル・ストリートでロバート・ナイトホークのバックを務め、68年にはアール・フッカーのアルバムに参加した。
いよいよ69年に自分のデビュー作をデルマークから発売し、本格的な活動へと突入した。73年にはブルースウェイより、『Last Night』を発売した。彼の人気と評価が高まってきたのは、80年代からである。80年にはヒューバート・サムリンのバックに参加。82年に録音し84年にルースターから発売となった息子ローリーとの共演盤『Son Of A Gun』なんかは我々ファンが大好きな黒人独特のグルーヴ感が詰まった傑作だ。
キャリーの実力というものは、もっと以前から熱心なファンの間では認められていた。それはW.W.ウィリアムズの名曲である〈38ウーマン〉でハーモニカを担当しているのがキャリーだということが知れ渡っていたからだ。今年も彼の演奏を見たかった。残念至極なり。
(『ブルース&ソウル・レコーズ』2007年8月号 No.76掲載)
【編集部追記】
キャリー・ベルは2007年5月6日にシカゴの病院で心不全のため亡くなった。享年70。死の直前にリリースされた2006年録音ライヴ盤『Gettin’Up』では息子ルリー・ベルと共に元気な姿を見せていたが、糖尿病の合併症を患っていたという。1998年に《ジャパン・ブルース・カーニバル》でオーティス・ラッシュ、サン・シールズと共に来日している。父親のレガシーを継ぐルリーは現在も精力的に活動中。キャリーの死の翌年、25年ぶりの来日公演ではエディ・テイラーJr.をサイド・ギターに熱いステージで観客を魅了した。
CAREY BELL / Deep Down
(Alligator ALCD-4828)1995
BIG WALTER HORTON with CAREY BELL
(Alligator ALCD-4702)1972
Hard To Leave You Alone(from『Getting’Up』Live 2006)
PETER AMFT(ピーター・アムフト)
1941年シカゴ生まれ。60年代からブルース・アルバムのジャケット写真などを数多く手掛けた写真家。チェス、アリゲーターなどでアート・ディレクターも務め、ハウリン・ウルフ『The London Sessions』、ハウンド・ドッグ・テイラー『Genuine House Rockin’ Music』なども彼のデザインによる。2014年没。