2022.9.15

PHOTOGRAPH BLUES - カメラが語るブルースマン 【第2回】マックスウェル・ストリート

印象に残るブルースマンの写真を数多く撮影したシカゴの写真家/デザイナー、ピーター・アムフト。
『PHOTOGRAPH BLUES ─カメラが語るブルースマン』は、彼が撮影した写真とともに、撮影時の貴重なエピソードを綴った連載で、ブルース&ソウル・レコーズNo.76〜87に掲載されました。(編集部)

マックスウェル・ストリート、1962年

「“ジョン・ザ・コンカー”か“革小袋に入った黒猫の手”を買いにマックスウェル・ストリートに行こうぜ」──マイケル・ブルームフィールドは魔法の惚れ薬が欲しくてそんなことを言い出した。

マイケルは私に親父からカメラを借りて持って来いと言ってきかなかった。当時の私たちは2人とも若僧だった。1962年の話だ。その時まで私は一度も写真を撮ったことがなかった。それでも、36枚撮りトライX・フィルムを35ミリのミノルタに装填し私たちは出掛けたのだった。

最初に立ち寄ったのはマディ・ウォーターズのおばちゃんち。私たちはキッチンのドアから入り込む。レッド・ビーンとライスを煮込んだ大鍋から吹き上がる湯気で部屋は蒸していた。私たちが入って行くと、ちょうどマディは自分の髪をコンクしているところだった。バンダナがはずれて……光沢のある巻き毛が彼の額に垂れ下がっていた。マディは袖なしの下着に身を包み、若く、堂々としている。男らしい胸から滴り落ちる汗から湯気が立っていた。

マイクはマディの白いテレキャスターをすくいあげて弾きだすと──ブッチーン──ビッグでファットな6弦を切ってしまった。「マイケルは俺の息子のようなもんさ」マディはただ笑っていた。

それからマイクは通りに出て行った。そこで私たちはこの年老いた盲目の男を見かけた。ブラインド・コニー・ウィリアムズ──彼は妹(姉)と共にピッツバーグから来たところだった。私が少しばかりのチップを彼のブリキの缶に入れると、彼女は誰かが盗みに来るんじゃないかと心配している風だった。

「彼の写真を撮れよ」

マイクが私を煽り、私はカメラを向けた。それがこれ。私が生まれて初めて撮った写真だ。

そして2000年11月に取り壊される日まで、私は二度とマックスウェル・ストリートには戻らなかった。

マックスウェル・ストリート、2000

マックスウェル・ストリートはイリノイ大学の拡張のために取り壊された。そこにあったビルは非常に古く崩れかけていた。建設作業員たちは金網を一帯に張りめぐらし、その最後の日に誰もストリートに入り込めないようにしていた。バンドはもう演奏していない。音楽なんてもうない。オープン・グリルからの香ばしいポークチョップやオニオンを揚げる匂いももうない。店先を黄色く塗った有名な終夜営業のホットドッグ・スタンドも永遠にシャッターを閉めてしまった。

その日、私は通りを歩くこの孤独なギタリストを見つけた。

「寒いし腹が減ってるんだ。それに2弦も切っちまった。俺は家に帰るんだ。おい、知ってるか? 今日はマックスウェル・ストリートの最後の日なんだぜ」

photos & text by PETER AMFT
[企画協力]永田鹿悟/小田憲司 [日本語訳]井村猛
(c) TWO VIRGINS / Peter Amft


シカゴ・ブルースの故郷、マックスウェル・ストリート
[文]永田鹿悟

シカゴのウェスト・サイドにあるマックスウェル・ストリート。19世紀終わり頃から東欧出身のユダヤ系移民によって始められたフリー・マーケットがある場所だった。ほんの10年前までは、マックスウェル・ストリートと言えば、この青空フリー・マーケットの事だった。ユダヤ系、アイルランド系、イタリア系、ドイツ系白人に混じり、南部からシカゴに移住した黒人達も数多くこの地域に集まった。映像にも残っているが、ブルース系ミュージシャンも人出の多いこの場所で演奏し、日銭を稼いでいた。無名の頃のマディ・ウォーターズ、そしてリトル・ウォルター、キャリー・ベル、ロバート・ナイトホーク、フロイド・ジョーンズ等が出没していた。ブルースの聖地と呼べる場所であったが、数多くの人達の保存活動も実らず、21世紀を待たずに、マックスウェル・ストリートは、マーケット出店等認められない全く異質な場所となった。
(『ブルース&ソウル・レコーズ』2007年10月号 No.77掲載)


【編集部追記】
マックスウェル・ストリートはルーズヴェルト・ロードの南を平行して東西に走る通りで、サウス・ハルステッド・ストリートとの交差点を起点にかつては多くの出店が並びブルース・ミュージシャンたちがストリートで演奏していた。シカゴ大学の用地拡張のため2000年にマーケットは閉鎖されたが、その後設立されたマックスウェル・ストリート・ファウンデーションが名所ツアーや別の通りで〈ニュー・マックスウェル・ストリート・マーケット〉として定期的にフリー・マーケットを開催するなど文化的遺産の保護に努めている。

Maxwell Street Foundation HP
maxwellstreetfoundation.org/


And This Is Free – The Life And Times Of Chicago’s Legendary Maxwell Street
DVD+CD(Shanachie 6801)2008

DVDにはマイク・シェイが1964年に制作したドキュメンタリー『And This Is Free』や通りで働くユダヤ系商人の日常を捉えた『Maxwell Street : A Living Memory』など関連映像を収録、J.B.ハットーやロバート・ナイトホークらゆかりのミュージシャンたちの20~60年代音源コンピCDと合わせ、往時のマックスウェル・ストリートを知ることが出来る決定版セット。

And This Is Maxwell Street
CD3枚組(Rooster Blues R2641 )2000
『マックスウェル・ストリートの伝説~ライブ 1964』
CD2枚組(Pヴァイン PCD-5527/28)1999

マイク・シェイが『And This Is Free』制作時に録音していた未発表音源を纏めたコンピ。映画に登場したジョニー・ヤングやロバート・ナイトホークをはじめ、ジョン・レンチャー、モジョ・エレム、キャリー・ベルらの貴重な1964年ライヴ録音30曲を収録、音楽とともにマックスウェル・ストリートの息遣いまで感じられる2枚組だ。なお、ルースター盤にはマイク・ブルームフィールドによるナイトホークのインタヴュー音源がCD3として追加された。

BLIND CONNIE WILLIAMS
Philadelphia Street Singer
CD (Testament TCD 5024) 1995
1961年にフィラデルフィアで録音された23曲を収録。ギターとアコーディオンを演奏しながら、20世紀初頭にアメリカ南部に広まったブルース、伝承歌、黒人霊歌などを歌う。

 PETER AMFT(ピーター・アムフト)
1941年シカゴ生まれ。60年代からブルース・アルバムのジャケット写真などを数多く手掛けた写真家。チェス、アリゲーターなどでアート・ディレクターも務め、ハウリン・ウルフ『The London Sessions』、ハウンド・ドッグ・テイラー『Genuine House Rockin’ Music』なども彼のデザインによる。2014年没。

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