2022.10.13

PHOTOGRAPH BLUES - カメラが語るブルースマン 【第3回】マイク・ブルームフィールド

印象に残るブルースマンの写真を数多く撮影したシカゴの写真家/デザイナー、ピーター・アムフト。
『PHOTOGRAPH BLUES ─カメラが語るブルースマン』は、彼が撮影した写真とともに、撮影時の貴重なエピソードを綴った連載で、ブルース&ソウル・レコーズNo.76〜87に掲載されました。(編集部)

我が友マイク・ブルームフィールドを襲った不運

60年代中頃のことだ。マイク・ブルームフィールドと私はウェルズ・ストリートを歩いて仕事に向かう途中だった。マイクは当時在籍していたグループ、ポール・バターフィールド・ブルース・バンドのリハーサルで通りの奥にある〈ビッグ・ジョンズ〉という薄汚いビア・バーへ、私はフォーク・ギターと5弦バンジョーを自作していた同じくウェルズにあったロフトへと向かっていた。

マイケルはすり足で通りを歩いていた。左足を左方向に、右足を右方向に進めて歩く。まるでアヒルのように。年老いたユダヤ人のアヒル。まったくイカれている。

2人ともギターを持って歩いていた。マイクはマディ・ウォーターズの白いテレキャスターをフェンダーのケースに忍ばせて、私は1959年製ストラトキャスターをオリジナル・ツィード・ケースに入れていた。私が75ドルで買ったギターだ。週25ドルを3週間で払う分割払い。売ってくれた男が最後に集金に来た時、1954年製フェンダー・ベースマン・アンプも私に売りたがっていた。金がないから買えない、と言うと、タダでいいから持ってけ、と置いていってくれた。どうせギターもアンプも盗んだ物だったのだろう。

とても天気のいい日で、私たちは気持ちよく通りを進んでいた。すると突然パトカーが私たちの行く手を遮り、3人の屈強なシカゴ警察の警官たちが飛び出してきた。彼らは私を突き飛ばすと、マイクの方に突進する。そして、可哀想なマイケル・ブルームフィールドは、薄汚れた歩道に投げ飛ばされてしまった。ふたりの警官がマイクを地面に押さえつけ、そして……残ったひとりはマイクのカーリー・ヘアを頭から引っぱがそうと躍起になっていた。

彼らは口々にこう叫んでいた。「このクソったれなカツラを引っぱがせ!!」

後で分かった事だが、警官たちはそのほんの少し前にウェルズ・ストリート銀行を襲った強盗を追っていたのだった。そしてたまたま通りかかったマイクの狂った髪型を見て、犯人がカツラを被って変装していると勘違いしたのだ。あんなチープなアフロはカツラに違いない、と。

マイケルは私の大の親友だった。彼のCBS盤『It’s Not Killing Me』のカヴァーは私がデザインした。この写真は、ニック・グレイヴナイツがコロンビア盤『My Labors』のために行ったレコーディング・セッションの時に撮影されたものだ。この時撮影した中から、頭の部分だけ『It’s Not Killing Me』のカヴァーに使用している。私が撮影した彼のポートレイトはAJK盤『Living In The Fast Lane』にも使われた。

マイクのバンド仲間、サム・レイは本物のアフロ・ヘアの持ち主だった。1960年代後期、ブルー・サム盤『Sam Lay In Bluesland』のカヴァー撮影のために私のスタジオを訪れた彼は正真正銘のアフロ頭だった。サム・レイが参加したアルバムだと、チェス盤マディ・ウォーターズ『Fathers And Sons』、アリゲーター盤シーゲル=シュウォール『The Reunion Concert』、そして彼名義のエヴィデンス盤『Stone Blues』のカヴァーも私がデザインしている。

photos & text by PETER AMFT
[企画協力]永田鹿悟/小田憲司 [日本語訳]井村猛
(c) TWO VIRGINS / Peter Amft


ポール・バターフィールド・ブルース・バンドに集まった逸材
[文]永田鹿悟

ポール・バターフィールド・ブルース・バンドが、エレクトラから発売したデビュー・アルバムは、白人をリーダーとするブルース・バンドとしても傑出した内容を誇っていた。マイク・ブルームフィールドは、とにかく黒人ブルースが好きで堪らないという男だった。マディの家への突撃取材を見ても彼の情熱が伝わってくる。ボブ・ディランやアル・クーパーとの共演もあり、スーパースターへの階段を順調に登っていた時期もあったのだが、麻薬のため夭折した。サム・レイは今も尚シカゴを拠点に活躍する名ドラマー(ギターもやるが)で、ポール・バターフィールドやシーゲル=シュウォール・バンド、マジック・サムとの活動で知られ、現在も人気の高いミュージシャンである。マイクそしてサム・レイとピーター・アムフト氏との交流は、当時のシカゴ・ブルース・シーンを生々しく伝えてくれて実に嬉しくなるものだ。
(『ブルース&ソウル・レコーズ』2007年12月号 No.78掲載)


【編集部追記】
マイク・ブルームフィールド(本名:マイケル・バーナード・ブルームフィールド)は1943年7月28日シカゴ生まれ。10代から地元ブルース・クラブに通い、ロバート・ナイトホークらと交流する中でギターの腕を磨いていった。ポール・バターフィールド・ブルース・バンド、エレクトリック・フラッグ、ボブ・ディランやアル・クーパーらとのセッションなどで活躍、ソロでも数多くのアルバムを遺している。1981年2月15日、サンフランシスコにて37歳で夭逝。駐車場の車中で遺体で発見されたが、遺書もなく薬物の過剰摂取による事故か自殺か定かではない。永田氏のコラムで触れられているマディ・ウォーターズへの突撃インタヴューは『Rhythm & Blues』誌1964年7月号に掲載されている。
サム・レイ(本名:サミュエル・ジュリアン・レイ)は1935年3月20日アラバマ生まれ。2022年1月29日、シカゴの養護施設にて86歳で亡くなった。


MICHAEL BLOOMFIELD
It's Not Killing Me
LP(Columbia CS-9883)1969

MICHAEL BLOOMFIELD
Living In The Fast Lane
LP(Waterhouse Records 11)1980
本文ではAJK盤とされているが米国盤はWaterhouseからリリースされていた。

ジャケ写のオリジナル・ショット[(c) TWO VIRGINS / Peter Amft]

SAM LAY'S BLUES BAND
Sam Lay In Bluesland
LP(Blue Thumb Records BTS-14)1969

MUDDY WATERS
Fathers And Sons
2LP(Chess LPS-127)1969
『Sam Lay In Bluesland』と『Fathers And Sons』は、ピーター・アムフトとイラストレーターのドン・ウィルスンのデザイン・スタジオ《デイリー・プラネット》がアートワークを手掛けている。

SIEGEL-SCHWALL
The Reunion Concert
CD(Alligator Records ALCD-4760)1988

THE SAM LAY BLUES BAND
Stone Blues
CD(Evidence ECD-26081-2)1996

ジャケ写の別ショット[(c) TWO VIRGINS / Peter Amft]

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THE PAUL BUTTERFIELD BLUES BAND
The Paul Butterfield Blues Band
LP(Elektra EKS-7294)1965


 PETER AMFT(ピーター・アムフト)
1941年シカゴ生まれ。60年代からブルース・アルバムのジャケット写真などを数多く手掛けた写真家。チェス、アリゲーターなどでアート・ディレクターも務め、ハウリン・ウルフ『The London Sessions』、ハウンド・ドッグ・テイラー『Genuine House Rockin’ Music』なども彼のデザインによる。2014年没。

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