2023.3.8

PHOTOGRAPH BLUES - カメラが語るブルースマン 【第7回】ジミ・ヘンドリクス

印象に残るブルースマンの写真を数多く撮影したシカゴの写真家/デザイナー、ピーター・アムフト。
『PHOTOGRAPH BLUES ─カメラが語るブルースマン』は、彼が撮影した写真とともに、撮影時の貴重なエピソードを綴った連載で、ブルース&ソウル・レコーズNo.76〜87に掲載されました。(編集部)

レッド・ハウスと彼女のカメラ、1001から1003の間に

ジミはナンシー・ジョー・ジャクスンを連れて別の寝室へと消えていった。その後部屋から出て来た彼らの様子ときたら、ジミは満足したという感じ、彼女は今しがた津波に襲われたという感じだった。彼女の髪は乱れ放題、片方の付け睫はなくなっていて、ブラウスのボタンも掛け違えていた。

誰かがドアを叩く。開けてみると、13歳ぐらいのネズミ顔をした3人の女の子たちが立っていた。

「ジミのためにお薬を持って来たわよ」

その薄汚れた小さな掌にはLSDのカケラが6~8個乗っていた。ジミは何も言わずに私の肩越しから手を伸ばして薬をすくい上げると、そのまま自分の口の中に全部放り込んでしまった。やれやれ。俺たちはミズーリ州カークランドに居るんだぜ。ドラッグ名産地って訳じゃないんだ。ネズミ駆除剤だったらどうするつもりだ。

おそらく、ジミはトリップしていたのだろう。テレビの前に痩せっぽちのケツを落ち着かせ、しきりにテレビのダイヤルを回し始めた。テレビのリモコンなんてない時代だ。カラーテレビでもなかったし、チャンネルだって3つしかなかった。

ほどなく、リムジンが到着した。ステージに向かう時間が来た。ジミは病人のように青い顔をしていた。それでも私は彼を赤ん坊のように抱きかかえ車の中に押し込む。ミッチ、ノエル、メアリー、ケイ、ナンシー・ジョーも一緒だ。1968年11月3日、ミズーリ州セントルイス。そして、私たちはカイル・オーディトリアムに到着した。

私はステージに上がり、ジミのワウワウ・ペダルをセッティングするのを手伝った。そして幕が上がった。観客はみな「ジミ!」と叫んでいる。しかし、ジミときたら今にも吐きそうな様子だ。彼は観客に背を向けると自分のマーシャル・アンプが積んである方に歩いて行った。そこには硝酸アミル“ポッパー”で満たされたグラスが置いてあった。布製の入れ物に入ったガラスの小瓶たち。心臓発作を起こした人に用いる薬だ。その1本をジミは鼻の下でポンと開けた。ぐるりと向きを変える。ストラトを突っ込む。そして、二度と後ろを振り返らなかった。

あの日、世界でいちばん綺麗なんじゃないかっていう女の子が観客の中に居た。彼女のカメラを私は渡されたが、感度の低い屋外用フィルムしか入っていなかった。そこで私はステージに上がり、ヘンドリクスの隣にひざまずき、シャッターチャンスを狙った。“There’s a red house over yonder......”彼が歌い出すと同時にシャッターを開け、1001、1002、1003と数える。そうやって撮れたのがこの写真だった。

その女の子、テリー・フィッシャーは今も美しい。私が刑務所に入っていた間ずっと手紙をくれたのは彼女だけだった。


ジミのサウンドの秘密

読者諸氏はジミのあのサウンドの秘密をご存じだろうか。ディストーションを通しているから?  特別なピックアップのせい?  改造したアンプだから?

ノー。まだ鳴り続けているジミのストラトを手にした時、私はその秘密を知った。ああ!  チューニングが狂っている! 高音弦のチューニングをわずかに狂わせることによって、彼はあのイカれた不気味な不協和サウンドを生み出していたのだ。彼がプレイ全体を通して行ったこと、それはただ全身全霊を込めてこの微妙な不協和を調整しようとしたことだ。あの、魔法の指を使って。

photos & text by PETER AMFT
[企画協力]永田鹿悟/小田憲司 [日本語訳]井村猛
(c) TWO VIRGINS / Peter Amft


ジミ・ヘンドリクス、偉大なるはみ出しブルースマン
[文]永田鹿悟

サイケで革新的なギタリストとしてそれこそロック界に燦然と輝くスーパースターだったジミ・へンドリクス。しかし彼がデビュー前からブルースが大好きだった事は周知の事実だ。あのパット・ヘアやギター・スリムのスタイルを発展させたという解釈も成り立つだろう。私は、最初シングル盤で〈ヘイ・ジョー〉、〈紫のけむり〉を買った世代だが、ジミには何か独特な匂いを感じていた。バディ・ガイにも通じるが、何かはみだしたブルースマンという匂いを発散していたような気がする。レパートリーにしていた〈レッド・ハウス〉〈キャットフィッシュ・ブルース〉なんかを聞いても、ジミにはブルースマンの血が濃く流れていた事は確実だ。例えばシカゴに生活の場を持っていたなら、バディ・ガイのライヴァルになっていた事は確実なんじゃないか。50才過ぎた頃には、シルヴァートーンに傑作アルバム残してくれたんじゃないかとも。27才の死が惜しまれる。
(『ブルース&ソウル・レコーズ』2008年8月号 No.82掲載)


【編集部追記】
1942年11月27日ワシントン州シアトル生まれのジミ・ヘンドリクス(本名ジョニー・アレン・ヘンドリクス)。15歳の頃にギターを手にし、アマチュア・バンドで音楽活動を開始。1961年に入隊した陸軍時代はベースのビリー・コックスらとクラブ・ハウスで演奏していたという(「任務のない時は楽器の練習も許されていたし、プロになるための腕を磨けた」と本誌No.157のインタヴューでコックスは語っている)。除隊後、ナッシュヴィルでコックスと結成したキング・カジュアルズでの活動を皮切りに、アイズリー・ブラザーズやリトル・リチャードなど数多くの有名ミュージシャンのバックを務め頭角を現していく。そして1966年に渡英、ノエル・レディング(b)、ミッチ・ミッチェル(dr)と結成したジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンスで一気に世界的なロック・スターへと昇り詰めた。しかし、1970年9月18日に27歳という若さで突然この世を去ってしまう(酒と睡眠薬を併用して就寝中に吐瀉物で窒息死したとされるが、死因については諸説ある)。

ベスト盤を除き生前に発表したオリジナル・アルバムは、ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス『Are You Experienced?』『Axis: Bold As Love』『Electric Lady Land』、ビリー・コックスとバディ・マイルズ(dr)と組んだバンド・オブ・ジプシーズによるセルフタイトル・ライヴ盤の4枚のみ。しかし、彼の死後も未発表音源や発掘音源で次々とアルバムが組まれ、近年もBOXセットやアニヴァーサリー盤がリリースされるなど、〝ロック・ギターの革命児“の影響力は没後50年以上経った今も衰えていない。

本誌ではリニューアル号となったNo.76(2007年)、没後50年と『ライヴ・イン・マウイ』発売に合わせたNo.157(2020年)でジミを特集しているので是非バックナンバーをチェックしていただきたい。


THE JIMI HENDRIX EXPERIENCE
Are You Experienced?
ジミ・ヘンドリックス/アー・ユー・エクスペリエンスト?
CD(Sony Music SICP-30821)

“Red House”収録のジミの1967年ファースト・アルバム。CD化に際しアルバム発売以前のシングル6曲が追加されている。

JIMI HENDRIX EXPERIENCE
Los Angels Forum, April 26, 1969
ジミ・ヘンドリックス/ライヴ・アット・ザ・LAフォーラム
CD(Sony Music SICP-6490)

1969年4月26日、LAフォーラムでのライヴを収録。以前BOXセットの中の1枚として発表されていたものが単独盤として昨年リリースされた。“Red House”も収録。ノエルとミッチとのジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンスとしては最後のツアーを捉えた貴重なライヴ盤だ。

JIMI HENDRIX
Blues
CD(MCA MCAD-11060)

“Red House”を含むジミのブルース・ナンバーを纏めた1994年編集盤。ジミにブルースの血が流れていたことがよく分かる。

JIMI HENDRIX
Live At Woodstock
ジミ・ヘンドリックス/ライヴ・アット・ウッドストック
2DVD(Sony Music [DVD]SIBP-282/283 [BD]SIXP-38)

ジミを伝説にした1969年8月ウッドストック・フェスでのライヴを収録。ミッチ・ミッチェル、ビリー・コックスらとのジプシー・サン&レインボウズで“Purple Haze”から“Red House”、アメリカ国歌まで披露し圧巻のステージを繰り広げた。


 PETER AMFT(ピーター・アムフト)
1941年シカゴ生まれ。60年代からブルース・アルバムのジャケット写真などを数多く手掛けた写真家。チェス、アリゲーターなどでアート・ディレクターも務め、ハウリン・ウルフ『The London Sessions』、ハウンド・ドッグ・テイラー『Genuine House Rockin’ Music』なども彼のデザインによる。2014年没。

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