2018.9.12

【特集:伝えておきたいブルースのこと】㊴ブルース、日本上陸

来日ブルースマンと和製ブルース・ブーム
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ブルース・ライヴ! ロバート・Jr.ロックウッド&ジ・エイシズ (トリオ PA-6024) [1975]

 日本のレコード売上チャートにカントリー・ブルースのアルバムが入った。それは大きな事件だった。トリオ・レコードから1973年11月21日に発売された『スリーピー・ジョン・エスティスの伝説』は、ミュージック・ラボ誌74年3月4日号のアルバム・チャート96位に滑り込んだ。

 1960年代からブルースのレコードはぽつぽつと国内盤として発売され始めていたが、1971年に『RCAブルースの古典』が発売された頃から数を増やしていた。ブルースへの熱は上がり、ブルースマンの来日公演も始まった。1971年、ブルースの大使、B・B・キングが初来日公演を行なう。初めてのブルースマン、しかも現役バリバリ、脂の乗ったブルースの王様だ。公演を体験した人々は、当時の興奮を伝えている。

「B・Bはまだ40代という若さであり、バンド・メンバーの紹介を受けてステージに立とうという時、目をカッと見開きウイスキーの小瓶をグイッとあけて怒涛のエヴリデイに突入してくるという様子が、神がかりのように思えたことを今も思い出す」(日暮泰文氏)

 1974年1月、第1回ブルース・フェスティバルが開かれる。主催は雑誌ニューミュージック・マガジン。出演は、スリーピー・ジョン・エスティス&ハミー・ニクスンのコンビと、ロバート・ジュニア・ロックウッド&ジ・エイシズだった。会場は立ち見も出るほどの盛況であったという。公演は好評を得て、アルバムのセールスにつながった。

 シカゴ・ブルース黄金時代を知るロックウッドとエイシズの演奏は、当時ブルース・バンドを組んでいた日本の若者に大きな衝撃を与えた。インターネットどころかビデオも普及する前の時代、初めて見る奏法におどろき、感激したという声を何度も耳にした。両者の公演は、世界に誇るライヴ盤となり、今も親しまれている。

 ブルース・フェスティヴァルは翌75年3月に第2回、7月に第3回が開かれ、幕を閉じた。ブルース・ブームと言われた活況は、潮が引くように終息を迎えたのである。それでも最初に質の高いブルースの公演に出会えたことは、日本のブルース・ファンにとって幸運だった。

black music review 5月号増刊号 来日ブルースマン全記録1971-2002
black music review 5月号増刊号 来日ブルースマン全記録1971-2002
ブルース・インターアクションズ刊 [2003]
1971年のB.B.キング初来日公演に始まり、ブルース・フェスティヴァル、ジャパン・ブルース・カーニバル、ブルース・キャラヴァン等、数々の名演を生んだ来日ブルースマンの公演を、当時の来日リポートやライヴ評も転載し、記録した力作。音が聴こえてきそうな迫力あるライヴ写真、楽屋でくつろぐ姿など、貴重な写真が多く見られるのも嬉しい。来日ライヴ音源を収録したCDも付いていた。現在は絶版。編集はブルース・ライヴを追い続ける、妹尾みえさん

ブルース・ライヴ! スリーピー&ハミー・ミーツ・ジャパニーズ・ピープル
ブルース・ライヴ! スリーピー&ハミー・ミーツ・ジャパニーズ・ピープル
(トリオ/デルマーク PA-6059)[1975]
初回盤はアルバム未収録曲を収めた45回転シングル付で発売された。スリーヴには空港に出迎えた関係者やファンの姿を捉えた写真が使われており、当時の熱気が伝わってくる。2014年に76年の来日公演時の音源を追加して、ようやくCD化された

特集:伝えておきたいブルースのこと50

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